日本人が大きな人に勝つことに感動/小平×清水対談

対談後、色紙に自身の目標を書いたスピードスケート女子小平奈緒(左)と小平への激励メッセージを書いた清水宏保氏(撮影・河野匠)

<平昌五輪あと200日18年2月開幕>

 金メダルのバトンが託された。来年2月9日の平昌五輪開幕まで、今日24日であと200日。本番が迫る中、金メダル獲得の期待が高まるスピードスケート女子短距離のエース小平奈緒(31=相沢病院)が、98年長野五輪500メートル金メダリストの清水宏保氏(43)と対談を行った。憧れの人から五輪で戦う心得を学び、勝負の年への決意を新たにした。

 対談を熱望していた清水氏の姿を確認すると普段は冷静な小平の表情が一気に華やいだ。日本中を感動に包んだ長野五輪の金メダル。小学5年生の時に感じた憧れは19年たった今も色あせていない。

 小平 宏保さんが表彰台に立った時の、あの雰囲気が何とも言えなかった。日本人がこんな大きな人と戦って勝つ。すごいなって。すごく大きく見えました。

 尊敬する先輩との久々の対面。あいさつを交わし、いすに座ると、思い出があふれ出た。

 小平 新聞のテレビ欄に「清水宏保」っていう字を見つければ、マーカーで線を入れて、忘れないように食卓のマットの下に入れていた。録画も予約だと心配なので、自分でボタンを押すようにしていました。

 清水 ありがとうございます。恥ずかしいけど、うれしいですね(笑い)。

 そんな憧れの清水氏以来となる日本勢の金メダル獲得に挑む、小平。昨季は500メートルでW杯総合優勝を果たし、国内外の15レースを全勝で終えた。五輪で3個のメダルを獲得した清水氏でさえ、その進化に驚かされたという。

 清水 昨シーズンの始めに(小平の)動画を2、3回見返して、これ誰って。直線からコーナーに入るところがすごく変わった。可能性を感じる滑りだったし、シーズンが進むにつれ、どこまでいくんだろうという興味に変わった。

 小平 (以前より)重心を高くしました。ただ上半身を立てるのではなく、膝下の角度を低く、骨盤の角度が入るというか。上半身がオランダ流、下半身は韓国流というイメージです。

 清水 正面から見た時に、頭の位置は上がって、腰の位置はより下がっている。車で例えれば、一般車のエンジンは前にあるが、レーシングカーは後ろ。それが安定性とスピードを生んでいる。結果を出し、技術が確立している選手が、30歳を過ぎてさらに進化するのは簡単なことではない。

 小平にとって、平昌は3度目の五輪となる。大舞台で結果を出すためのヒントを探すかのように、清水氏に質問をぶつけた。

 小平 五輪、しかも地元の長野。不安とか、どうしようという気持ちになったりはしなかったですか? 自分を保つために工夫したことはありましたか?

 清水 自分は五輪2年前に内定をもらったこともあって、何度も悪いイメージが襲ってきた。夢で転倒したり、うなされた時期もあった。ただ、1年前からは、すべてがトレーニングだと思うようにした。食事、睡眠も練習。少しでも負のイメージが頭をよぎったら、フッと呼吸で吐き出すようにしていた。

 小平にとって忘れられないシーンがある。長野五輪の500メートル、2本目。清水氏の滑走を前に、他の選手が転倒し、競技が中断された。予期せぬ事態に、清水氏はリンクの内側で大の字に寝そべり、天井を見上げた。

 清水 あの日は朝から体が重くて、こんなに疲れていて大丈夫かなって。すごく緊張もしていたし、恐怖と良いイメージの繰り返し。そんな時に転倒が起きた。靴を脱いで、両腕両足を脱力して、内臓の力も抜いていくイメージ。そうしたら、ふっと力が抜けて、自分を俯瞰(ふかん)できた。あそこで変わった。

 清水氏をじっと見つめ、一言一句を聞き逃さないように耳を傾ける小平。清水氏は、熱っぽく続けた。

 清水 自分が1万人の中心にいて、みんなが見ているけど、世界規模で見れば戦争もあるし、小さな出来事。何でびびっているのかなって。アーティストではないが、自分がずっと目指してきた作品を見てもらえばいいんだって。そう思えたら、すごく楽になった。

 わずか三十数秒で勝負が決する500メートルの世界。精神面をいかに制御するかは、タイムに直結する。小平は14年ソチ五輪後からの約2年間のオランダ留学で、大きなきっかけをつかんだ。

 小平 オランダではレース前に「相手を殺していけ」という言葉を使う。最初はそんなの無理って思ったけど、聞いているうちに何となく自分にもできるかもって。言葉自体は好きではないが、それぐらい相手と戦うってことなんだなと。

 徹底的にマスコミと距離を取ったことで知られる清水氏も、集中力をコントロールする術を持っていた。

 清水 自分はオランダのその言葉通り。レースに向けて目つきも一気に変わるし、スイッチを意図的に入れていた。変に周りに気を使うのが日本の文化だが、それをしない方が競技のためになると思っていた。

 小平は大きくうなずく。

 小平 私も意図的に入れます。レース10分前ぐらいに自分のリズムを作りながら顔が怖くなっていく。ただ、(昨季)日本に戻ってからは、それが力みにならないように、集中するための殺気を少しぼかしておくようなイメージに変えた。

 清水 難しいね。沸騰させないような感じ?

 小平 絵みたいな感覚です。しっかり輪郭をかいた絵に、少し水をたらしてにじませるような。

 清水 剣士とかもそうだよね。一点を見てるんだけど、ぼんやり全体を見ている。ぼんやりさせることで全体が見える。それができるから広い視野を保てるんだろうね。

 対談は予定時間を大きく過ぎて終了した。帰り際、サインを求める小平に、清水氏は「滑りのアーティストに!」とメッセージを添えた。伝えたかったのは、長野五輪で自身がたどり着いた気持ちだった。

 清水 何十年スケートをやってきて、五輪はほんの数十秒で終わる。五輪までの数カ月は人生の中でも本当に面白い時間。戻れるならあの苦労していた時間に戻りたい。小平選手にも、今を、五輪を楽しんでほしいですね。

 小平 宏保さんの言葉を聞いて、もっと楽しまないといけないなと思いました。他の人に認められたいと思うと恐怖心も出てくるが、自分が認めてあげれば全力を出し切れる。1分1秒、楽しんでやっていきたいですね。

【田口潤、奥山将志】

 ◆小平奈緒(こだいら・なお)1986年(昭61)5月26日、長野県茅野市生まれ。3歳からスケート開始。伊那西高から信州大。06年にW杯初参戦。同大卒業後、09年から相沢病院に所属。10年バンクーバー五輪では女子団体追い抜きで銀メダル、1000、1500メートル5位。14年ソチ五輪は500メートル5位、1000メートル13位。昨季はW杯500メートル出場8戦全勝で種目別優勝、世界距離別選手権500メートル優勝、世界スプリント選手権総合優勝。165センチ、61キロ。

 ◆清水宏保(しみず・ひろやす)1974年(昭49)2月27日、北海道帯広市生まれ。白樺学園高-日大。五輪は94年リレハンメルから06年トリノまで4大会連続出場。98年長野大会500メートルでスピードスケートでは日本勢初の金、1000メートル銅、02年ソルトレークシティー大会500メートル銀。世界距離別選手権500メートルで5度の金。10年に現役引退。現在は札幌でトレーニングジム、整骨院、高齢者向けのリハビリセンターを経営している。