伊達公子ありがとう。日本が生んだ不世出の女子選手

5月、カンガルーカップ国際女子オープンで朱琳と対戦する伊達

 女子テニスの元世界4位で、復帰後は「アラフォーの星」として最年長記録を次々と塗り替えた伊達公子(46=エステティックTBC)が28日、自身のブログで引退することを発表した。昨年1月の全豪予選を最後に、同2月と4月に左ひざの手術を受け休養した。今年5月に約1年4カ月ぶりに復帰したが、思うように体が動かず引退を決意した。9月7日に記者会見を行う。大会推薦で出場する9月11日開幕のジャパン女子オープン(東京・有明)が現役最後の大会となる。

 すでに心も体も悲鳴を上げていた。勝負のためなら自分をどこまでも追い込む。極限までのストイックさと無尽蔵の根性も、さすがに力尽きた。伊達が2度目の引退を発表した。ブログには「伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」とつづった。

 いつか決断しなくてはならなかった。「どこかでテニスに区切りをつけなければならない時があるのならばそれが今ではないかと思ったのです」と続け、復帰してから続いたケガとの闘いに終止符を打つ。

 左ひざの手術から今年5月に復帰した。しかし、ツアー下部大会4大会に出場して、本戦での勝ち星はなし。加えて、右肩を痛め、7月下旬の米サクラメントの大会を最後に、大会には出場していない。「今は勝負をすることよりも毎日の体調を気にしながら練習の量、質を考えていなければならない日が多くなってきています」とした。

 08年に現役復帰した後、常に「ケガでいつプレーできなくなるか分からない」と話してきた。そして、ついに、その日がやってきた。世界4位になり、96年に引退した時は「ツアーに疲れ、テニスが楽しくなかった」。今は1201位でも「けががあったとは言え、楽しかったツアー、トップ50でプレーできたこと、多くのサポートへの想いなど充実した9年半」といえた。

 9月28日で47歳の誕生日を迎える。アラフォーどころかアラフィフだ。実は、前のプロ人生が7年半。現役復帰後が9年半と、後半の方が現役が長い。たゆまぬ努力と厳しさで、中年の人々に勇気と感動を与えた。そして最後は、日本が生んだ不世出の女子アスリートとして心身ともに燃え尽きた。

<伊達公子(だて・きみこ)アラカルト>

 ▼生まれと家族 1970年(昭45)9月28日、京都市生まれ。3人きょうだいの末っ子。

 ▼テニス開始 6歳で両親が通っていたセブンスリーTCで始める。

 ▼高校総体3冠 88年高校総体で単複団体の3冠。

 ▼プロ転向 89年4月に高校卒業後にプロ転向。

 ▼日本女子史上最高成績 94年全豪、95年全仏、96年ウィンブルドンの4強は、4大大会の日本女子歴代最高成績。

 ▼最高位 95年11月に記録した世界4位は、錦織圭と並んで現行制度で日本人最高位。

 ▼ライジング・サン 94年全豪で4強に入った時に、日いづる国と、球がバウンドしてすぐに打つライジング打法をかけて命名された。

 ▼最初の引退 96年9月24日に引退を発表。

 ▼復帰 08年4月に、「新たな挑戦」として公式戦復帰を発表。当時37歳。

 ▼全日本V 08年11月に全日本で16年ぶり優勝。単複2冠を達成した。

 ▼4大大会本戦 09年全豪で予選を勝ち上がり96年全米以来約12年半ぶりに4大大会本戦出場。

 ▼最年長記録 42歳で記録した13年全豪での本戦勝利と、同年ウィンブルドン3回戦進出は、オープン化以降女子最年長。

 ▼ツアー最多V 日本女子としてツアー通算シングルス8勝は最多。

 ▼結婚と離婚 01年12月にドイツ人ドライバーのミハエル・クルムと結婚。16年9月に離婚。