スマイルジャパンの中村亜実はアンパンマン級元気印

アンパンマンミュージアムのショップで働くアイスホッケー女子日本代表の中村亜実は、アンパンマンのシャツではつらつとポーズ(撮影・井上真)

 アイスホッケー女子日本代表「スマイルジャパン」のFW中村亜実(29=西武)は競技と仕事を両立させながら、18年平昌五輪を目指している。玩具メーカー、バンダイのアパレル事業部に所属し、横浜アンパンマンこどもミュージアム&モールで働く。これまで3つの職場を渡り歩きながら競技に打ち込んできた。多くの女子選手にとって五輪は環境改善を実現させる戦いでもある。

 中村がアンパンマンミュージアムで子供に向ける、抜けるような笑顔には、今までの苦しさがベースにある。これまで2度転職を経験した。無職の時もあった。家賃6万5000円が払えない。あまりの貧困に「死ぬかもしれない」と覚悟した過去もあった。中村に限らず、女子はアイスホッケーに専念できる企業チームはなく、厳しい環境で競技に打ち込んできた。

 長く女子を支えてきた日本協会広報担当の細谷氏はそれまでの苦境をこう説明した。「ソチ五輪まではみんなが大変な思いをしてました。(遠征などで)長期休みがある選手に、正社員はいません。アルバイトばかりです。当然、時給制。代表合宿に集まった会話には『今月は2万円しかもらえなかった』など本当に苦しい状況でした」。

 中村も大学卒業後、幼稚園で働き始めるが、日本代表に招集されると、長期で休むしかなかった。選手としての成長と、保育士としての仕事の両立に苦しむ。「代表に選んでいただいてうれしかったですし、誇らしい気持ちでした。でも、職場に対しては罪悪感がありました。子供たちは応援してくれましたが、それだけに職場を空けて、迷惑をかけて、申し訳ない気持ちが常にありました」。

 転職して居酒屋チェーン店で働いても同じだった。どうにもならず、上司に「10万円の固定給にしてもらえませんか」と訴えたこともあった。家賃を払うと何も残らない。ソチ五輪出場を狙うため無職で競技に専念した時期は食べるのにも困る毎日だった。やむなく両親に資金援助を願い出て何とか競技を続けた。ほとんどの選手が同じ境遇で14年ソチ五輪切符を手にした。

 これが転機になり、光が差し込んだ。細谷氏は日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援制度「アスナビ」活用が大きかったと述懐する。「五輪選手を支援する企業と、競技に専念したい選手の思いが重なったんですね。今では、選手の遠征状況などを企業の方が配慮して、ほとんどの選手が競技中心に生活できるようになりました。まさに地獄から天国です」。

 死に物狂いで生活し、アイスホッケーをやめなかったからこその五輪出場であり、その先に展望が開けた。13年9月、中村はバンダイでの面接で担当者から「中村さんの元気印は、アンパンマンに通じるものがありますね」との言葉を掛けられた。

 中村の役割はゴール前でのつぶれ役。体格で上回る相手GKやDFとの肉弾戦に果敢に挑みながら、味方のシュートコースを作る。2月の最終予選では「私に(シュートが)当たっても構わないから思い切り打って」と話し、若手を奮い立たせた。170グラムのパックが140キロの高速で飛んでくるが、ひるまなかった。

 氷上では闘志あふれるが職場ではアンパンマンと並んでも、引けをとらない笑顔が魅力。競技と仕事を全力で生き抜いてきたからこそ、中村は輝いている。【井上真】

 ◆中村亜実(なかむら・あみ)1987年(昭62)11月15日、青森県生まれ。小学2年でアイスホッケーを始める。母厚子さん(60)の熱血指導を受けて成長。下長中3年の秋に単身東京へ。国士舘大を経て、13年9月にバンダイに入社。家族は両親と弟。162センチ、64キロ。