能代工、名門復活へ走るんだ 加藤元監督のためにも

5月上旬の能代カップで健闘した能代工メンバー(撮影・鎌田直秀)

 高校バスケットボール界の名門で、全国制覇58回を誇る能代工(秋田)が、復活への扉を開いた。60年から同校で監督を務め、強豪に導いた加藤廣志氏(享年80)が3月4日に死去。昨年6月に就任した教え子の小野秀二アソシエイトコーチ(AC、60)が遺志を継ぎ、5月上旬の能代カップでは3年ぶりの勝利もつかんだ。「廣志先生のためにも」を合言葉に、11年ぶりの全国頂点に向けて再発進している。【取材・構成=鎌田直秀】

 加藤氏が掲げた「高さへの挑戦」が、復活への原点に変わりはない。身長200センチを超える外国人留学生全盛の時代。高い壁にぶち当たってきた過去10年無冠のリベンジ。今年から全権を担う小野ACは「大将」と尊敬する師の遺影の前で、力強く誓った。

 小野AC 自分が指導する姿を先生にも見て欲しかった。納得する言葉をいただきたかった。でも、どこかで見てくれているはず。能代工を復活させたい目的意識を持っていれば、選手たちも食らいついてくれる。今の生徒は成功体験が少ない。何が何でもという精神でやって、ちょっとでもステップアップすると我々も選手も楽しいんですよ。

 能代一中時代から能代工の体育館の片隅で加藤氏の練習を見てきた。入学後は75年に同校初の高校3冠を達成した。加藤氏から学んできた基盤。愛知学泉大を強豪に導き、男子日本代表やBリーグなどを指揮してきた経験を、母校にすべて還元するつもりだ。

 伝統との融合。加藤流でもあったフルコートマンツーマン。出し手のパスコースを限定させて、インターセプト。そして速攻。その理想形を求め、チームとして40分間走りきるために、長短を交えた走力強化に着手した。走りやパスの速さ、体の大きな相手への当たり負けを少しでも緩和するために、体幹や筋力トレーニングも新たに増やした。

 加藤氏が全国のレベル向上のために88年に立ち上げた能代カップ。今月上旬に開催された強豪集う同大会で、能代工は初戦で市船橋(千葉)に勝ち、3年ぶりの白星を挙げた。優勝した中部大第一(愛知)には完敗したが、昨夏の全国総体を制した福岡大大濠には終盤に追い上げ70-74の惜敗。国体王者の洛南(京都)にも78-59と完勝した。

 小野ACも「2年間勝っていなかったので、自信になってくれると思う。我々スタッフも、いけるのではないかという自信が芽生えてきている。留学生相手でも楽しみな部分もある」と手応えをつかみつつある。188センチ新田由直(3年)や182センチ秋元淳之介(2年)もインサイドで躍動。同ポジションとしては全国的には小柄だが、ゴール下での速さで打開した。さらに上位進出には「ずぶとさ、ずるさ。死んだふりして手を出すみたいな。体格差を、そういうところで補っていかないと」。課題もまだまだ多いことを強調した。

 16年の全国総体秋田県予選決勝で平成に68-100で敗れ、69年から続いた連覇が47で途切れた。「1つの時代が終わった」と言われたこともあった。昨年は全国総体出場も1回戦敗退。4月入学の中山玄己(1年)は、福岡大大濠戦で両チーム最多タイの23得点を挙げた。「自分は秋田市出身ですが、去年のウインターカップ(全国選手権)県予選で能代工が負けたことが悔しかった。秋田工が全国大会に出ても『やっぱり能代が出なくちゃ』と寂しかった。だから進路はここしか考えていなかった。やるからには日本一を目指す」。加藤氏の姿を見たことがなくても「秋田県のバスケ人としての基盤を廣志先生が築いてくれたことは知っています」と“孫弟子”の意識は高い。今年は東北だけでなく、兵庫、新潟、山梨など各県の選抜メンバーだった新1年生がズラリと並ぶ。復活への期待は全国に広がっている。

 6月2日からは、全国総体の県予選が開幕する。主将の遠田貴大(3年)は「小野コーチには自分たちで考えることも求められるので、レベルアップできている。高さに勝つには走ること。廣志先生の時代から、それは忘れてはいけないこと」。07年秋田わか杉国体での優勝を最後に、悔しさを味わい続けてきた能代工。「復活というのは、日本一になって初めて使える言葉だと自分たちは思っています」。67年埼玉国体で初出場初優勝し、能代市内をパレードしてから51年。加藤氏の墓前に復活報告を実現させるためにも、学校、スタッフ、生徒、OBの力を結集する。