「圧政」「神格化」恐怖の内田帝国を父母が独占激白

日大内田正人前監督(2017年12月19日撮影)

 日大アメリカンフットボール部の選手による悪質な反則問題で、日大現役部員の父母の1人が29日、日刊スポーツの取材に応じた。反則した選手を守るため、部員全員の総意で「指導体制も含め生まれ変わる必要がある」との文言が盛り込まれたという。また、内田正人前監督が反対勢力を排除し、恐怖政治で「内田帝国」を作り、部を掌握していたことも証言した。

 日大現役部員の父母の1人は、「関係者はみな前監督の完全排除を望んでいます。内田イズムを継承したままで改革はない」と、きっぱりと言った。「声明文」の文言はソフトではあったが、選手たちが大学側に「NO」を突き付けたことは間違いない。

 恐怖政治の生々しい現実を語った。6日の関学大との定期戦での悪質タックルについて、その父母が息子に「もし、お前だったら指示に従うか?」と質問したところ「やるしかしょうがない。それがフェニックスだから」と即答したという。

 内田前監督は、ほとんど選手と話すことはなく「風通しが悪かった」と話す。現場はコーチに任せてきたが、コーチ陣の多くは大学職員。人事権を握る監督には当然、逆らえない。「以前、コーチをしていた知り合いは、監督と意見が合わず部を辞めた。過去にも数人のコーチが同じように辞めている」とした。圧政によって「内田帝国を作ろうとしていた」と話した。

 また、昨年ある問題が起き、20人が退部した。「ごたごたがあったのは聞いているが知らない」としたものの、当事者と思われる選手は「練習を干されていた」とも話す。さらに「OBが土下座させられたとかは聞いたことがある。前監督の存在は神格化されていて、とても逆らえる状況ではない」。その一方で、選手は陰で「ウッチー」と呼んでいたように裸の王様だった一面もあったようだ。

 学校側の対応にも憤りを感じている。27日の父母会で加藤直人部長らが初めて父母に謝罪をしたが、その後は、今後の指導法についてだったという。「場違いな話をしていた。参加者から大学の対応への不満が出たが、コーチ陣の反応は薄く、指示があったことを認めたコーチはいなかった」。問題発覚後の13日の名城大戦後の15日には「監督が練習しろと。能天気だなと思いました」と話した。「内田体制」打破へ、選手、父母らはもう黙っていない。

 ◆内田正人(うちだ・まさと)1955年(昭30)8月9日、埼玉県生まれ。日大豊山から日大に進み、アメリカンフットボールを始める。OLのセンターで4年時の77年、甲子園ボウル出場も、関学大に5連覇を許した。78年卒業と同時にコーチ就任、79年に日大職員に。03年に監督に昇格し、07年に17年ぶりで甲子園ボウルに進出。16年に退任しディレクターとなるが、1年で監督復帰。14年間で5度目の甲子園ボウルで関学大を破り日大として27年ぶり、監督として初の大学日本一に。