日大アメフト部降格決定 創部79年目初名門に汚点

関東学生連盟の柿沢理事長は日大アメフト部の今季出場停止処分について質疑応答で涙をこらえる(撮影・浅見桂子)

 日大アメリカンフットボール部の今季出場資格停止処分の解除は認められず、創部79年目で初の下位リーグ降格が確定した。

 関東学生連盟は7月31日に都内で理事会を開き、悪質な反則問題があった日大に科した処分の解除を協議。検証委員会は日大が出したチーム改善報告書では再発防止の実効性や組織改革が不確定と答申し、理事20人中17人がこれを支持して処分解除は見送られた。これで日大は1部上位リーグTOP8から、来季は下位リーグBIG8に自動降格となる。

 反則を犯した5月6日の関学大戦から、約3カ月にわたった騒動に大きな区切りがついた。日本のフットボールをリードしてきた日大には苦渋の処分解除否決。40年の創部から、関東ではただ1チームだけトップリーグを死守してきた。初の降格で、その名門の歴史に汚点が残ることになった。

 理事会では検証委の処分解除を認めない答申を受けて協議に入った。最後はこの答申を支持するか挙手で採決。23人の理事のうち、日大OB1人と他に2人が棄権。有効数20人中17人と大半の理事が答申を支持する結論になった。

 検証委は日大のチーム改善報告書に一定評価も、実効性や大学一体での改革に疑問を呈した。再発防止策の策定と実施、抜本的な組織改革の断行に「いまだ不確定で不十分であると、言わざるを得ない。器は作られたが、改善の意思は未知数。十分な改善が認められない」とした。

 理事らの部長などの兼職禁止も未決定と判断し、実際に報告書は副学長の加藤部長名で提出されていた。内田前監督、口封じした井ノ口元理事らの影響力も完全に排除されたか現時点で不明とした。

 さらに、日大のトップでありながら公式な場に一切姿を見せていない田中理事長の対応にも触れた。真摯(しんし)な反省に「改革をトップダウンで進めていく」などメッセージを発していれば、結論が変わった可能性があったと示唆。「対戦相手が安心して信じられる確かなものがなかった」と説明した。

 田中理事長は前日30日に第三者委員会から説明責任を要望されたが、同日に開かれた日大の臨時理事会で頑として会見は否定したという。検証委の川原委員長は「理事長の去就ではなく姿勢や態度の問題」という。ヒアリングは5回実施し「学生らの一生懸命さは伝わってきた。大学はこの結果を待って検討するというもの。熱気が伝わってこなかった」と話した。

 BIG8降格で甲子園ボウル出場の可能性はなくなるが、現状のままでもルールでは来季復帰となる。森本専務理事は「彼らもきちっとやるだろうし、ほったらかしにはしない。今後検討する」と話した。フェニックスが再び羽ばたく日へは、まだ道半ばだ。【河合香】

 関東学連の柿沢優二理事長 日大は関東の宝のようなチーム。試合に出られないのは重たい事実で残念な結果。日大のガバナンスには少なからず憤りを覚える。この判断を重く受け止めて、早急に再建策を実行していただきたい。

 ◆日大フェニックス 1940年(昭15)に国内6番目で創部。55年に関東初優勝し、初出場の甲子園ボウルで引き分けの両校優勝で初の大学日本一となる。59年に篠竹監督が就任して3連覇、82年に最多タイ5連覇。「サムライフットボール」を掲げて打倒米国を目指し、アンバランスT、ショットガン隊形などを駆使し、スパルタ練習で強化を図った。03年に篠竹監督が勇退して内田監督が昇格。07年に17年ぶりで甲子園ボウルに出場し、昨年は27年ぶりで21度目の優勝を飾る。ライスボウルは4度制覇。公式戦通算412勝105敗11分け。愛称は50年代に最強を自負した全日大の不死鳥倶楽部が由来。チームカラーは赤。