桃田V日の丸にキス、派手な生活はもう「必要ない」

<バドミントン:世界選手権>◇5日◇中国・南京◇男子シングルス決勝

 男子シングルスで3年ぶりに出場した世界ランク7位の桃田賢斗(23=NTT東日本)が、同3位の石宇奇(中国)を2-0で下し、日本男子としてオリンピック(五輪)、世界選手権を通じて初の金メダルを獲得した。16年4月に違法賭博問題による試合出場停止処分を受け、昨年5月に実戦復帰。生まれ変わった姿で頂点に立ち、支えてくれた人へ感謝の思いをささげた。

 リードしていても、桃田の体は悲鳴を上げていた。第2ゲームの19-13。ラリーの中、「追うのをやめたら楽になる。1点ぐらい」と浮かんでくる弱気をさえぎり、相手の強打に腕を伸ばした。大会直前に腹筋を痛め、薬を服用してのぎりぎりの戦い。「絶対に負けないとコートに入った」。動かなくなりそうな足を出して、最後は相手のミスで連取し、試合を決めた。込み上げたのは感謝の思い。「自分にチャンスをくれた日本の方々に」とユニホーム左胸の日の丸を握り、口づけした。

 違法賭博問題で処分を受けた16年4月。世間のバッシングから身を隠すように、東京から香川県三豊市の実家へ戻った。「ラケットには触らなかった。ずっと家の中にいました」。幼少期に厳しくバドミントンを指導してくれた父信弘さんを含め、家族みんなが何も言わない。普通の生活をするよう気を配ってくれたことがありがたかった。心の底の暗さは解け、外に出て、走り始めた。

 東京に戻ったのは1カ月半後。所属するNTT東日本の練習場に顔を出した初日。須賀監督に「今でもバドミントンは好きか」と聞かれ、「好きです」と答えた。得意だったヘアピンが打てず、少し打つだけで左肩が痛む。それでも、嫌いだったランニングを毎日朝と昼に1時間ずつ1日も欠かさずやった。17年5月、以前にないフィジカルの強さを身につけて実戦復帰し、1年で世界トップまで力を戻した。

 「目に見えるぐらいの派手な生活をしたい」と発言し、スターを夢見ていたあの頃の自分とは違う。髪を染め、目立つようにと高級ブランドの指輪やネックレスを着けてプレーしていたが、今はアクセサリーは「必要ない」としまった。

 「人として、強くなる」。それが今の目標だ。「人として強くなればプレーにも影響してくると思うし、そうすれば応援してくれる人がたくさん増える」。バドミントン界のレジェンド林丹、リー・チョンウェイの名を挙げ、「世界中の方から愛されるプレーヤー、レジェンドといわれる選手になりたい」と新たな夢を語った。【高場泉穂】

 ◆桃田賢斗(ももた・けんと)1994年(平6)9月1日、香川県三豊市生まれ。吉津小2年からバドミントンを始め、福島・富岡高3年の12年世界ジュニア選手権で日本人初の優勝。14年国・地域別対抗戦、男子トマス杯で日本の初優勝に貢献。15年世界選手権3位で、男子シングルスの日本勢初の表彰台。同年スーパーシリーズ・ファイナルで優勝。16年4月に発覚した違法賭博問題による出場停止処分でリオ五輪に出られなかった。今年1月に日本代表復帰。世界ランクの過去最高は16年4月7日付の2位。家族は両親と姉。175センチ、68キロ。左利き。血液型A。