50歳のパラクライマー小林幸一郎は暗記レジェンド

スポーツクライミング世界選手権 パラクライミング重度視覚障害の部(B1)優勝した小林幸一郎(中央)(撮影・戸田月菜)

<インスブルック日記>

<スポーツクライミング:世界選手権>◇第7日◇13日◇オーストリア・インスブルック◇パラクライミング決勝

日本のパラクライミング界のレジェンド、重度視覚障害の部(B1)の小林幸一郎(50)が、世界選手権3連覇を達成した。リードで35+の高度を獲得し、2位に10手の差をつけての優勝。「今までの大会で1番うれしいです!」。小林は表情をほころばせて歓喜の余韻に浸った。

「パラクライミングは、ペアクライミングなんですよ」。パラクライマーは、ナビゲーターと一緒に戦っている。登る前にホールドの方向、距離、形を全て暗記する。3種類の情報を、40手以上あるホールドを全て覚え、「2回読み上げれば覚えます」とナビゲーターの鈴木直也さん(43)も暗記力に舌を巻く。パラ種目は登れた高さを競うリードのみで、登る際には鈴木さんが下からメガホンで「11時(の方向)、遠め、バナナ(のような形のホールド)」と大きな声で伝える。小林は鈴木さんの声の指示と自分の記憶を頼りに登っていく。決勝でも直也さんの大きな声は会場に響いた。「彼と一緒に力を出し切れた感覚を共有できて、ありがとうと言いたかった」。小林は登り終えて地面に降りた後と、直也さんと力強く抱き合った。

小林は1968年、東京都中央区築地に生まれた。まだ目も見えていた16歳の時、雑誌に新しいスポーツとしてスポーツクライミングが紹介されているのを目にし、競技を始めた。大学卒業後は旅行会社に就職し、その後はアウトドアスポーツのコーディネーターの仕事などをしていた。しかし96年、28歳の時に遺伝性の網膜色素変性症を患っていることが発覚。だんだんと目が見えなくなっていく病気で、医師からは「将来失明する」と宣告された。「仕事もできなくなる」と絶望していた。

1つの出会いが、運命を大きく変える。02年、全盲の登山家エリック・ヴァイエンマイヤー(49)が世界七大陸最高峰完全制覇したことを知り、ヴァイエンマイヤー氏に米国・コロラドまではるばる会いに行く。話を聞き、「障害があっても、こんなにいろんなことができる可能性があるんだ」。絶望の淵に立たされていた気持ちが、一気に希望に変わった。「病気はクライミングを辞める理由にならない」と決意し、パラクライマーとして登り続ける覚悟を決めた。

05年にはNPO法人MONKEY MAGICを立ち上げ、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロにも登頂した。06年には第1回のパラクライミングのシリーズ戦で優勝を飾り、11年の世界選手権軽度視覚障害の部(B2)で優勝した。病気が進行し重度視覚障害クラス(B1)になった世界選手権14年のスペイン大会、16年のパリ大会で連覇を達成した。

14年には同NPO法人が、茨城県つくば市に障害者も登れるボルダリングジム「MONKEY MAGIC」をオープン。妻多美子さん(38)とともに運営に携わっている。今年1月には、パラ部門が日本山岳・スポーツクライミング協会から分離し、日本パラクライミング協会を設立、小林は副代表も務めている。20年東京五輪でスポーツクライミングが追加競技となったものの、パラリンピック種目とはならなかった。「2020年ではエキシビション種目にもならなくて、正直ジェラシーを感じている。24年のパリ、28年のロサンゼルスではパラリンピック種目になったら良いなぁと思う。そのためにも、今はパラクライミングのことを普及して整えていくことが私たちの役割です」と言う。

50歳の現役。「年齢的にもアスリートとしては長くない。『こんなことができるなら、あきらめていることができるんじゃないか』とチャレンジする気持ちを、子どもたちの未来につなげたい」。普段からクライミング教室を行い、障害のある人もクライミングに参加するワークショップも開催している。「僕にとって、クライミングは人生の中心にあるもの。クライミングが自分の真ん中にいる生き方をしていく」。絶望の壁を乗り越えた50歳は、まだまだ登り続けていく。【戸田月菜】