萩野公介が北島氏から学んだこと/新春インタビュー

東京五輪に向けさらなる飛躍を誓う水泳の萩野(撮影・鈴木みどり)

20年東京オリンピック(五輪)へ、いよいよプレ五輪イヤーが始まった。16年リオデジャネイロ五輪競泳男子400メートル個人メドレー金メダル萩野公介(24=ブリヂストン)は五輪2大会連続金を目標に掲げる。しかしリオ五輪後はけがからの不調に見舞われ、主要国際大会で個人種目の優勝なし。競泳界のエースに東京での金メダルは見えているのか。新春インタビューで胸の内に迫った。【取材・構成=益田一弘】

リオ五輪金メダル1号から2年半。萩野は、新年のテーマを「泳」と記した。

萩野 今年こそ1年間、泳ぐ。年間通じて「泳」。今(ライバルのチェース・)ケイリシュが一番速い。これまで突貫工事のように短期間で泳ぎを何とかしようと考えてきた。今は長期的に強化を考えている。18年8月のパンパシフィック選手権が大きかった。ケイリシュに負けて2位。力の差を感じたし、ここからがスタートだと思えた。

15年夏の右肘骨折から継続的な練習を積めなかった。16年秋に手術、17年冬は体調不良。いつも急ピッチ調整で勝利を目指してきたが「のれんに腕押しのようだった」という。昨夏の完敗で、五輪金メダリストとして負けられない、という焦りから解放された。

萩野 ケイリシュの力を認めている部分もあるけど、五輪が本番。そこで勝つことが、最大の目標。それまでの過程で負けて実力差を感じても、最後の五輪で1番になれば、勝ち。現時点の自己記録(4分6秒05)もケイリシュが0秒15ほど上だが、それは関係ない。まだ勝負は終わりじゃないと思ってやっている。

けがや不調で優勝を手にすることが少なくなった。目の前が開けたのは、わずか0秒83の向上だった。

萩野 (18年)8月のジャカルタ・アジア大会でタイムが少しだけ上がった。パンパシが4分11秒13で、アジア大会が4分10秒30。1歩の成長を感じることができた。

指針となる姿がある。昨夏、米高地合宿で練習の合間に山を登った。その時、平井コーチから五輪2大会連続2冠の北島氏を例に「頂上に達する道は1つじゃない」と言われた。東京での戦い方は破竹の勢いだったリオと違ってもいい。

萩野 北島さんも五輪に4度出て5度目の(リオ五輪)選考会まで挑戦した。その姿を見て感じたのは、メダルや記録じゃないんだ、と。その1本を全力で泳ぐこと。それは続けたい。

冬場にじっくり練習するのは実に4年ぶりだ。7月には世界選手権韓国大会がある。目標は同選手権で手にしていない金メダル。五輪王者は長い苦闘を経て、現実を受け入れることで、チャレンジャーになった。

萩野 2年間あれば、何でもできる。もともと僕は五輪の間に4年ずっと順調にやって出たことはない。東京五輪でやっぱり世界記録(4分3秒84)も出したい。決勝で、競って競って誰か1人だけが世界記録を破るような展開になると予想している。ここからが勝負と思っています。

◆萩野公介(はぎの・こうすけ)1994年(平6)8月15日、栃木・小山市生まれ。生後5カ月で水泳を開始。作新学院中-作新学院高-東洋大-ブリヂストン。12年ロンドン五輪400メートル個人メドレー銅。16年リオデジャネイロ五輪は個人メドレーで400メートル金、200メートル銀、800メートルリレー銅。177センチ、74キロ。

◆パンパシフィック選手権男子400メートル個人メドレー決勝(18年8月9日) 萩野は前半の200メートルでケイリシュ(米国)に0秒96差をつけた。しかし後半に逆転されて最後は3秒18の差で敗北。17年世界選手権でもケイリシュに敗れており、主要国際大会でライバルに連敗となった。