霊長類最強女子の吉田沙保里はリオで燃え尽きていた

リオデジャネイロ五輪レスリング女子53キロ級決勝でマルーリスに敗れ、マットにしゃがみ込む吉田

「霊長類最強女子」がマットを去る。レスリング女子で3度のオリンピック(五輪)と世界選手権を合わせて16大会連続世界一に輝き、12年に国民栄誉賞を受賞した吉田沙保里(36=至学館大職)が8日、現役引退を発表した。日本協会などに報告し、自身のツイッターにも「区切りをつける」と投稿した。女子が正式種目入りした04年アテネ五輪から3連覇。銀メダルだった16年リオデジャネイロ五輪後は試合出場はなく、選手兼任で日本代表コーチを務めていた。10日に都内で記者会見する。

8日午後2時すぎ。都内の日本協会を訪れた吉田は「引退することになりました!」と快活に笑顔で伝えた。新たな門出の区切りの日に合わせたような真っ白な服で日本オリンピック委員会(JOC)にも報告。午後4時前、ツイッターを更新し「この度、33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断いたしました。ここまで長い間、現役選手として頑張ってこれたのも沢山の方々の応援とサポートのおかげです。みなさん、本当にありがとうございました」とつづった。添えられた写真にはメダル17個が輝いていた。

14年3月に亡くなった元日本王者の父栄勝氏のスパルタ指導で頭角を現した。自宅には22畳のマットがあり、年中休みなし。ピアノを習いたがると「『ピアノを弾けても強くならない!』とか言われました。性格も負けず嫌い。強い気持ちがここまでにしてくれた」。病弱な子供は体質も性格も変わり、小学生で「私もおちんちんがほしい」と母幸代さんにせがんだ逸話も残る。

父仕込みの高速タックルで世界に羽ばたいた。04年アテネ五輪を制すると、08年1月には連勝が119で止まる苦難を乗り越え、同年北京五輪で2連覇。12年ロンドン五輪では、旗手は金メダルを取れないジンクスを破り3連覇を遂げた。同年9月の世界選手権で、男女通じて史上最多の世界大会13大会連続優勝を達成し、カレリン(ロシア)の記録を更新し「霊長類最強女子」と呼ばれた。

4連覇がかかったリオ五輪では、栄監督から「これが最後だな」と送り出された決勝で敗れた。母も最後だと思い観戦に訪れるなど、この時点で引退は既定路線。その後はコーチ業のかたわら、タレント活動にも精力的で、15年末にはALSOKを退社し、16年11月から昨年8月末まで至学館大の副学長も務めた。

東京五輪への代表争いが本格化した昨年12月の全日本選手権はエントリーしなかった。大会初日のイベントに登場し「レスリング以外も興味が増えて、ネイルとかマツエクとか。女磨きもできるようになって、楽しい日々を送れている」「いい人を見つけて結婚、出産、女性としての幸せもつかみたい」と望んでいた。

個人戦に限れば01年からリオ五輪決勝で敗れるまで驚異的な206連勝。数々の偉業は色あせることはない。母国開催の五輪を翌年に控え、日本スポーツ界のヒロインが大きな決断を下した。

◆吉田沙保里(よしだ・さおり)1982年(昭57)10月5日、三重県津市生まれ。3歳の時に、父の指導でレスリングを始める。久居高-中京女大(現至学館大)-ALSOK-至学館大職員。04年アテネから12年ロンドン五輪まで女子55キロ級3連覇。16年リオ五輪で、伊調馨に続く五輪4連覇を目指し53キロ級に出場も、決勝でマルーリス(米国)に1-4で敗れた。12年11月に国民栄誉賞を受賞。現在は至学館大でコーチを務める。家族は母と兄2人。157センチ。

<吉田語録>

◆「これで全部そろった。オリンピックの金メダルだけがなかったから」(04年8月、アテネ五輪55キロ級で初めての金メダル)

◆「勝てると軽くいってしまったのが悪いと思う」(08年1月、女子ワールドカップでバンデュセンに敗れ119連勝で止まる)

◆「(伊調)千春選手も負けて、同じ三重出身のマラソンの野口選手は試合に出られなかった。そんなみんなの分も金メダルを取ろうと思った」(08年8月、北京五輪で連覇を達成して)

◆「お父さんが行けなかった五輪で一緒に喜べたのは2度とないこと。最高に幸せ」(12年8月、ロンドン五輪55キロ級3連覇を達成)

◆「カレリンの記録を抜けたうれしさでいっぱい。世界一になった実感が込み上げてきている」(12年9月、世界選手権10連覇、「霊長類最強」カレリンを超える世界大会13連覇に)

◆「連覇は行けるところまで行きたい。20年に東京五輪開催が決まったら、出られるよう頑張りたい」(12年11月、国民栄誉賞表彰式で)

◆「お父さんに怒られる」(16年8月、リオ五輪53キロ級決勝で敗れ4連覇ならず)