男子バスケ44年ぶり五輪へ21年ぶり自力W杯出場

<バスケットボール:W杯アジア2次予選:日本96-48カタール>◇最終戦◇24日◇カタール・ドーハ

日本がカタールに96-48で勝利し、悲願のワールドカップ(W杯)切符を手にした。自力でW杯出場を決めたのは、前身となる98年世界選手権以来21年ぶり。W杯アジア予選初戦から4連敗で崖っぷちに追い込まれたが、そこから8連勝を果たした。国際バスケットボール連盟(FIBA)から課題とされた代表強化を証明し、3月末のFIBA中央理事会で20年東京オリンピック(五輪)の開催国枠が認められる見通しだ。男子日本代表は76年モントリオール大会以来となる五輪の舞台に、満を持して臨む。

日本バスケに、新たな歴史が刻まれた。自力では20年以上つかめていなかったW杯の切符。渡辺雄太(24)八村塁(21)が不在の中、Bリーグ組が日本男子の実力を示した。44年ぶりの五輪となる20年東京大会の開催国枠獲得に向けても大きな歩みとなり、「アカツキファイブ」の愛称にふさわしく、バスケ界の夜明けを迎えた。

ここに来るまで、チーム全体でもがき苦しんだ。日本とほぼ同身長のアルゼンチン代表を12年ロンドン五輪4強に導いたフリオ・ラマス監督(54)が17年7月に日本代表監督に就任。しかし同年11月に開幕した予選でいきなり4連敗を喫した。米国の大学で活躍していた八村、渡辺と力のある若手を招集できず、ホームで世界ランキングを下回る台湾に1点差で敗戦。組の最下位に沈み、1次予選敗退もちらついた。勝てていない日本は勝利のイメージが描けずに、自信をなくしていた。

転機は18年6月29日。同年4月に日本国籍を取得した元NBA選手のファジーカス・ニック(33=川崎)や、シーズン開幕前の八村が参戦し、オーストラリアを撃破した。世界の強豪と互角に戦えることを示し、続く7月の台湾とのアウェー戦も圧勝し、徐々に自信を取り戻していった。

「もう、監督を辞めようかと思っていたよ」。台湾戦での勝利後、ラマス監督は震える声で日本バスケットボール協会の三屋裕子会長(60)に話した。普段は前向きな名将の本音に、三屋会長は驚きながらも穏やかな表情で抱き寄せた。「まだまだこれからだよ。一緒に頑張ろう」。9月には八村、渡辺の2枚看板がそろい、アジア2番手の強豪イランまで破った。4連敗の苦しみを抜けた日本は、渡辺、八村、ファジーカスという個の力も武器にしつつ8連勝。1度はあきらめかけた夢の舞台への切符を、ついにつかみ取った。

<経緯>

日本はまだ男女とも東京五輪開催国枠を与えられていない。05年から国内で2リーグが並立していた日本はFIBAから、リーグの統一、協会のガバナンス改革、代表の強化を課題として、14年11月に国際大会参加を禁止する資格停止処分を下された。その後、川淵三郎氏を中心に協会を改革し、新リーグ新設の動きも加速。15年8月に取り組みが評価され制裁も解除、16年にBリーグが開幕しリーグ統一も実現した。

残す代表の強化では、当初は「W杯で16強程度」の実力を示すことを求められたものの、18年6月、八村、ファジーカスの加入によって世界ランキング10位の強豪オーストラリアを撃破したため実力も評価する見方が強まった。18年末に来日したFIBA中央理事会メンバーのワイス氏は、「3月の中央理事会で日本が出場できることを視野に入れている」と前向きな発言をしている。