小林陵侑、天性感覚に運動理論備わり日本人初総合V

<ノルディックスキー・ワールドカップ(W杯):ジャンプ男子>◇個人第23戦◇10日◇オスロ(ヒルサイズ=HS134メートル)

日本勢初の快挙だ。ワールドカップ(W杯)参戦4シーズン目の小林陵侑(22=土屋ホーム)が、日本男子初の個人総合優勝を決めた。1回目127メートル、2回目126メートルで5位となり、個人総合2位カミル・ストッフ(ポーランド)に500ポイント差をつけ、5試合を残して総合優勝が確定した。4戦ぶりに表彰台を逃したが、今季23戦で11勝、表彰台16度は日本勢シーズン最多。第2戦の初優勝から一気に栄冠を手にした。

小林陵がジャンプの歴史を塗り替えた。1回目127メートルで4位につけ、2回目は追い風で126メートルと飛距離が伸びず5位。渋い表情だったが、総合2位ストッフが13位と失速。残り5試合を残し、堂々の個人総合優勝を確定させた。「まだ実感わかない。今季は安定してコンスタントに表彰台に乗ることが出来た。良いシーズンになっている」と喜びをかみしめた。1979-80年シーズンに発足したW杯ジャンプ男子。欧州勢以外の総合優勝は初めての快挙だった。

新星の持ち味は抜群のセンスと身体能力。高校1年ですでに声をかけられ、卒業後の15年に土屋ホームに入社した。2年目で初めてW杯にフル参戦したが、30位以内に入れず2回目に進めない屈辱を個人17試合すべてで味わった。想像していなかった世界との壁に帰国時は「厳しいっす…」と落ち込んだ。オフには周囲が「目の色が変わった」というほど練習に貪欲になった。翌シーズンの平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)ノーマルヒルでは日本勢最高7位。手応えを得て臨んだシーズンだった。

今季は崩れない強さが加わった。23戦11勝と世界を圧倒した。体の動きをより頭で考えられるようになった。昨年、所属先のスキー部は若手に脳波トレとメンタリストによる座学を導入。骨格から神経に至るまで体のつくりを学んだ。オフの沖縄・宮古島合宿やW杯から一時帰国中の短い期間でも行った。新しい試みに「数十万では足りない」(スキー部関係者)という額の予算を計上。積み重ねてきたものと、天才的な感覚に理論も備わり無敵状態となった。今季の躍進に小林陵は「会社のおかげ」と常に感謝を口にしている。

W杯総合優勝の壁は高く、これまでの最高は97-98年シーズンの船木の2位が最高。その船木を含めた長野五輪団体金メンバーの原田や所属先の監督も務めるレジェンド葛西らが届かなかった大きなタイトルを手にした。今季W杯で記録を次々と塗り替える度に口にするのが「まだ自分は五輪で金メダルを取っていないので」。無限の可能性が詰まっている22歳は進化を続ける。

◆小林陵侑(こばやし・りょうゆう)1996年(平8)11月8日、岩手県八幡平市生まれ。5歳で兄潤志郎の影響でスキーを始める。松尾中3年の全国中学で史上2人目の複合、ジャンプの2冠。盛岡中央高3年の国体少年複合は連覇、同ジャンプ2位。15年に土屋ホーム入社。W杯は15-16年シーズンから参戦、昨季までの個人戦最高成績は6位。家族は両親と兄、姉、弟で、4きょうだい全員がジャンプ選手。174センチ、59キロ。

▼W杯個人総合ランク決め方 W杯の試合ごとに1位100ポイント(P)、2位80P、3位60P、4位50P、5位45Pなど上位30人までがポイントを獲得、その通算で順位付けされる。

▼ノルディックスキーW杯日本人の個人総合優勝 小林陵が史上4人目。ノルディック複合の荻原健司は92-93年に初優勝を果たし93-94年、94-95年で3連覇。渡部暁斗は17-18年に初優勝。女子ジャンプでは高梨沙羅が12-13年と13-14年、15-16年と16-17年に2度の2連覇で通算4度。男子ジャンプは昨季まで船木和喜の97-98年2位が最高。葛西紀明は3位を92-93年、98-99年の2度マークしている。

<小林陵侑の今季W杯栄光アラカルト>

◆日本勢シーズン最多勝利 1月4日、インスブルックで7勝目を挙げ、98-99年葛西紀明の6勝を上回った。

◆ジャンプ週間完全制覇 1月6日、史上3人目、日本勢初のジャンプ週間4戦4勝で総合優勝。日本勢の総合Vは97-98年船木和喜以来2人目だった。

◆最多タイ6連勝 1月12日、イタリア・バルディフィエメで男子史上最多に並ぶ6連勝を達成。次戦で連勝は止まったが、史上5人目の6連勝だった。

◆シーズン10勝 2月2日、ドイツ・オーベルストドルフで今季10勝目を挙げた。シーズン10勝以上は、史上最多15勝を挙げた15-16年プレブツ(スロベニア)以来、史上9人目(延べ12度目)となった。

◆日本勢シーズン最多表彰台 2月17日、ドイツ・ビリンゲンで11勝目を挙げ今季16度目の表彰台。日本勢最多だった98-99年船木和喜の15度を塗り替えた。