有言実行 北島康介が変えたアスリート像/平成とは

北京五輪100メートル平泳ぎで優勝し雄たけびを上げる自身の写真を手にする北島康介氏

<平成とは・スポーツ界激動の時代>

新元号が「令和」に決まり、平成は今月で幕を下ろす。バブル崩壊で日本経済が停滞する中、スポーツ界は大きく変化した時代だった。サッカーのJリーグを筆頭にプロ化の波が押し寄せ、野球中心だった昭和から多種多様な競技にスポットが当たった。スポーツ界にとって平成とはどういう時代だったのか? 今日から新連載として、その真実に迫る。第1回は競泳のオリンピック(五輪)金メダリスト、北島康介(36)が振り返った。(敬称略)【取材・構成=田口潤、益田一弘】

日本人は不言実行を美徳とする考えが根強い。平成に入って、その常識を変えた人間がいる。北島康介。五輪金メダル、世界記録を宣言。昭和時代には辞書にすら掲載されていなかった「有言実行」を体現し、従来のアスリート像を変えた。

北島 (恩師の)平井さんが先にテレビで言ってしまったということもあったんだけど、自分もその気だった。本番では100%以上のパフォーマンスを出すと常に考えていた。練習であそこまで追い込めたのだから、レースでは120、130%の力を出せると。恐怖感もなかったし、弱気になることもなかった。ただ金メダルは俺が取ると、疑わず突っ走った。もちろん、その過程では失敗レースもある。そのときは「ダメでした」と正直に言えた。目標があったから何も繕うことはなかった。

03年世界選手権は100、200メートルで世界新記録と金メダル。04年アテネ五輪で2冠、08年北京五輪は日本人初の連続2冠を達成。昭和時代、五輪で力を発揮できない選手が多く「日本選手は本番に弱い」とも言われたが、定説を覆した。強さの源は何だったのか。元日本代表ヘッドコーチで日本水連副会長の上野広治は「身長、体格は普通。でもどこかにパワーがある。筋力のパワーだけでなく、強い意志。それが1番」と思い返した。

アテネ五輪は直前で世界記録を塗り替えられたハンセン(米国)との一騎打ち。

北島 重圧より、何より言葉は悪いけど、ライバルを「ぶっ殺す」くらいの気迫だった。水泳は対人競技ではない。でも自分の場合は、タイムより、ライバルとの対決に魅力を感じた。その方が心が燃えた。

あふれる闘争心の一方で冷静な観察力も備わっていた。100メートルの決勝、練習場からハンセンを追った。

北島 ずっと見た。すると彼は目を合わせてこない。動揺なのか、ぎこちない変な動きをし始めた。コース台に上がる位置も、いつもとは逆。こいつ緊張しているなと思った。レース前から優位に立てていたことは間違いない。

08年北京五輪100メートルではライバルだったダーレオーエン(ノルウェー)に予選、準決勝と大差をつけられ2位。周囲には危機感があふれた。

北島 さすがに分は悪く、やばいと思った。でも、もう考えても仕方ないから寝ようと。2時間くらい昼寝をした。そして起きた瞬間、勝つのは俺だと思った。もともと失敗なんか考えない。成功する映像を浮かべたり、イメージトレーニングというか自己暗示。本番はいけると。

決勝は後半勝負に徹して逆転。水泳人生のベストレースでの五輪連覇だった。

アテネの「チョー気持ちいい」、北京の「何も言えねえ」とレース直後の言葉は流行語大賞に選ばれた。計算でなく素直な表現が注目され、話題になった。

北島 泳ぎだけでなく、言葉も記憶に残せたのはありがたい。「チョー気持ちいい」は泣きそうで照れ隠しのような感じ。言ったときは泣きそうだった。初めての金メダルだったからうれしかった。(アテネの)外プールで夕日が落ちてきたところでね。あの光景は今も目に焼き付いている。

競技以外の生き方も、常識を変えた。

日体大在学中で20歳だった03年6月、プロ宣言した。4年に1度しか注目されなかった五輪競技。当時のプロは女子マラソンの高橋尚子らごくわずかだった。

北島 子供の頃からプロ野球が好きだったし、最初はプロって、かっけえなあみたいな。もちろん、水泳を長く続けたいし、水泳選手の立ち位置を上げたかった。学生スポーツでなく、水泳で飯を食っていきたかった。

勝ち続けなければプロの価値は下がる。負けられないとの思いは五輪連続2冠の原動力になる。

北島 人が敷いたレールに乗りたくない。同じ道を歩きたくないというか。結果を残したから言えるのかもしれないけど、何か別の道があるんじゃないかと。周囲もサポートしてくれたから。

平成に入ってバブル経済は崩壊。経済は停滞した。だが、スポーツ界は閉塞(へいそく)感とは無縁だった。日本水連会長の青木剛は「社会は失われた20年だったかもしれないが、水泳界は躍進の20年だった」と振り返る。平成元年(89年)から強化費は10倍に伸びた。北島人気でスポンサー、観客、テレビ放送権料は増加。日本選手権はショーアップされ、華やかに生まれ変わった。

北島 注目されるところに、お金は集まるんだろうね。見る人が楽しんでくれる環境をつくる。選手も盛り上がる。いいことじゃないかな。

北島の成功で、他競技にもプロ選手が増えた。昭和時代は野球、大相撲が飛び抜けていたが、今やプロ野球選手より知名度のある五輪メダリストも少なくない。

北島 うれしい限り。僕も野球が好きだったし、今でも好きだけど、野球選手以外のアスリートたちが、社会に影響を与え、感動を与える。昭和と違った選手たちが活躍できたことはうれしい。

来年の東京五輪を前に、平成時代が終わる。北島は平成に入った小学生から本格的に水泳を始め、五輪を目指した。

北島 平成の30年はあっという間。平成になって水泳を始め、3年前に引退。時代とともに、選手として1歩ずつ階段を上がれた。だから自分にとっての平成は水泳です。

スポーツは多様化した。それは平成時代の1つの変化であり、進化だった。

◆北島康介(きたじま・こうすけ)1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。東京・本郷高-日体大。00年シドニーから12年ロンドンまで五輪に4大会連続出場。アテネ、北京と2大会連続で100メートル、200メートルの2冠。五輪で金4個、銀1個、銅2個。