秋田前田AC 代表支え新たな発見、いつかはHCに

ペップHC(左)の側近としてベンチから声をかける秋田・前田アシスタントコーチ(右)

Bリーグ1部の秋田ノーザンハピネッツ前田顕蔵アシスタントコーチ(AC、36)は、男子日本代表サポートコーチ兼通訳との「二刀流」で両チームを支える。秋田ではB1残留、日本代表ではワールドカップ(W杯)中国大会(8月31日開幕)出場権獲得に貢献し、20年東京オリンピック(五輪)の開催国枠出場を国際バスケットボール連盟(FIBA)に認めさせた。異なるチームで得た貴重な経験や今後の決意など、名脇役の思いに迫る。【取材・構成=鎌田直秀】

日本バスケ界がつかんだ、ドーハの歓喜。開催国枠以外では、98年W杯ギリシャ大会以来21年ぶり出場を決めた日本代表の輪に、前田ACも笑顔で飛び込んだ。秋田ではジョゼップ・クラロス・ヘッドコーチ(ペップHC、50)の参謀役。9月13日のW杯アジア2次予選からは日本代表にも合流し、フリオ・ラマスHC(54)も支援した。4連敗発進で1次予選2勝4敗の崖っぷち状態を、2次予選6連勝で巻き返した陰の立役者となった。

前田AC 一番大事な時期に関わらせてもらえた、貴重な体験に感謝です。快く送り出してくれたチームにも感謝。ハピネッツでやってきたことを代表でも使わせてもらった。それが通用することも分かったし、やり方にも自信がつきました。

きっかけは昨年8月に開催されたBリーグのHCや審判との会合だった。ペップHCが親交のあるラマスHCを紹介してくれた。代表でコーチ兼通訳の人材を求めていた時期とも重なり、白羽の矢が立った。Bリーグからの抜てきは、ただ1人。スカウティング、映像分析、ゲームプランの提案、日本人と外国人スタッフのコミュニケーション-。仕事は多岐にわたった。

2次予選の大一番は敵地イラン戦。日本、経由地のトルコ、現地に入っても寝る間も惜しんで、選手に還元する映像制作に従事した。リバウンド、スクリーンからのドリブル突破、守備のつき方。ホームでの対戦時に良かったプレー、悪かったプレー両面も伝えた。

前田AC どこでやられているか。どのセットプレーで得点ができたかなど良いイメージを多く見せました。僕がラマスHCに評価されたのは試合中にも、しゃべれるところ。イラン戦は大きな会場でしたし、男女がしっかり分かれて座る異様な雰囲気。太鼓やブブゼラの音で何も聞こえないスーパーアウェー。かなり大きい声を出していたので、のどがかれました。でもそれは秋田でも一緒ですね。Bリーグは土日連続ですし。

レベルが高い中での仕事は、新たな発見も多かった。首脳陣やスタッフの意識、選手の取り組み方。その部分に関しては、秋田にも還元した。

前田AC 秋田の選手と話す目線は変わりましたね。代表ではチームでトップにいる選手が控えになっても集中を保ち、コートに入ってから少ない時間で結果を出す。これがプロだなと。イラン戦でも3点シュートをポンポン決める勝負強さ。「シュート力うらやましいな」「こんなに入ったら楽やな」「ずるくない?」なんて思ってしまうくらい。チームに戻っても「このレベルじゃない」「もっとできる」と、よりレベルの高いコーチングができるようになったと思います。

秋田は終盤に11連敗を喫する苦しいシーズンではあったが、17勝43敗の東地区5位(全体15位)で、かろうじて残留。来季もトップリーグで戦える最低限の結果は得た。

前田AC 代表の中で秋田の話題も出るようになった。外国人もそうだし、タク(中山拓哉)のアシストやスチールだったりを、見てくれているというのはある。でも日本代表のレベルはかなり高い。W杯には八村塁(21=ゴンザガ大)や渡辺雄太(24=グリズリーズ)が入ると思うので、さらに競争は激しくなる。秋田から代表という日がきたら最高ですよね。僕も最初は「お前、誰やねん?」って感じでしたけれど、認めてはもらえた。チームの一員として、やればできるんだというものは示せたかなと思います。

bjリーグ時代にはヘッドコーチ、Bリーグや日本代表コーチも務めてきたが、指導者としてはまだまだ若手とも言える36歳だ。W杯では米国、トルコ、チェコとの同組も決定。3月30日には76年モントリオール以来44年ぶりの五輪出場も確定した。

前田AC ラマスさんには「W杯にもいてほしい」と言ってもらっています。世界トップの国にチャレンジしたいし、次には東京五輪もある。Bリーグのヘッドコーチもやりたいし、最終的には日本代表ヘッドコーチもできればうれしい。

秋田から世界へ-。来季のハピネッツ躍進の原動力にもつながる。前田ACの真骨頂は、まだまだこれからだ。

◆前田顕蔵(まえだ・けんぞう)1982年(昭57)6月27日生まれ、大阪府出身。大商学園卒業後、米ネブラスカ州立大カーニー校進学。08年にbj高松アシスタントコーチ兼通訳就任。11年にヘッドコーチ昇格。1年目の11-12年シーズンは2勝50敗での最下位も経験。14-15年シーズンにはプレーオフ出場を導いて退任。15年から秋田アシスタントコーチ。愛称マエケン。家族は妻と3男。