寺内健が東京五輪内定、飛び込み界100年の夢挑戦

男子シンクロ板飛び込み決勝 「東京五輪内定1号」となり、笑顔で日の丸を広げる寺内(右)、坂井組(撮影・鈴木みどり)

<水泳:世界選手権>◇第2日◇13日◇韓国・光州◇男子シンクロ板飛び込み決勝ほか

【光州(韓国)13日=益田一弘】男子シンクロ板飛び込みで、寺内健(38)、坂井丞(26=ともにミキハウス)組が「東京五輪内定1号」を手にした。予選2位通過で迎えた決勝は389・43点の7位。日本水泳連盟の選考基準、五輪内定の8位以内をクリアし、全種目を通じて個人として最速で東京切符。寺内は馬術杉谷泰造に並ぶ夏季日本勢最多の6度目、初出場の96年アトランタ大会から24年をへて、自国開催の五輪に向かう。坂井は2大会連続2度目の五輪出場となる。

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途中で順位を見ない流儀だが、うすうすわかった。8位で迎えた最後の6本目。寺内は、馬淵コーチの「落ち着いて」の声に内定がかかる1本と気づいた。「コーチこそ『落ち着いて』と思った」。得点が高くなる難易度よりも、完成度、同調性で勝負して7位入賞。馬淵コーチと握手して、坂井と抱き合った。「世界に通じるところを少し見せられた。気がつけば6度という思いがある。東京では今までで一番を、結果を求めたい」。

96年アトランタ大会で五輪初出場。00年代は親交が深い金4個の競泳北島、金3個の柔道野村の背中を追った。だが飛び込みは日本勢の五輪メダルなし。今では競い合った選手が引退して審判になるケースも増えた。「会場で『ケン、頑張れよ』と握手してくれるけど、採点は辛かったり」と苦笑い。飛び込み界のレジェンドといえる存在だが「僕が知るレジェンドは金4個、3個ととっている。僕はレジェンドなんかじゃない」。

恵まれてなんかいない。兵庫・宝塚市内のJSS宝塚は競泳プールの横にある飛び込み台で、子供と一緒に練習する。中学時代には自分で施設の裏手の雑草を刈り、人工芝を敷いて、練習用の板を設置した。見学に来た中国選手に「お前、こんなところで練習してんのか?」と聞かれ「そうよ、いかんか?」と返す。かつて「近づくなオーラを出していた」という男が、年を重ねて子供も指導。坂井は初めて会った時に3歳で「健ちゃん」と呼ばれたが、今は「健くん」。そして天才少年、玉井陸斗(12)と「どこかで一緒に飛びたいね」と26歳差ペアに色気もチラリ。25年以上、トップを張ってきた。

内定1号、日本勢最多6度目、日本初のシンクロ種目出場。記録ずくめの東京切符。それでも「五輪が楽しかったことがない。怖いし、慣れない。でも五輪に慣れないことを知っていることが経験値」。そして野村氏、北島氏が引退した今も飛び続ける。「自分はメダルをとっていない。同じステージにいきたい」。

飛び込みは、1904年セントルイス大会で五輪に採用されて、日本勢は1920年アントワープ大会で内田正練が初参加。寺内が20年東京で初のメダルをとれば、飛び込み界100年の夢がかなう。それは間違いなく伝説になる。

◆寺内健(てらうち・けん)1980年(昭55)8月7日、兵庫・宝塚市生まれ。96年アトランタ大会から五輪5度出場。最高順位は00年シドニー高飛び込み5位。01年世界選手権では3メートル板飛び込みで銅メダル。170センチ、69キロ。

◆東京五輪代表 寺内、坂井組が全競技を通じて個人名で初の内定となった。開催国枠などを確保済みの競技はあるが、誰が出るかまでは決まっていない。開催中の水泳世界選手権では今後も飛び込み、オープンウオーター、競泳で日本水連の選考基準を満たし、代表内定の可能性がある。その後も8月のセーリング、9月のレスリングなど世界選手権の成績によって、代表内定選手が出る競技がある。