畠山愛理氏ら語る「出会い」城彰二氏は積み重ね強調

「VICTORYスポーツフォーラム2019」パネルディスカッション出演者の、左から荻原氏、上村氏、狩野氏、城氏、畠山氏(撮影・鈴木正人)

中学、高校の教師らとスポーツが持つ力を考える「VICTORYスポーツフォーラム2019」(主催・日刊スポーツ新聞社ほか、特別協賛・トンボ)が5日、東京都内で行われた。4年連続の開催となった今回、スキー・ノルディック複合の荻原次晴氏(49)が司会進行を務め、フリースタイルスキー・モーグルの上村愛子氏(39)バレーボールの狩野舞子氏(30)サッカーの城彰二氏(44)新体操の畠山愛理氏(24)が、過去の経験で学んだことを約150人の参加者に伝えた。

荻原氏 最初のテーマは競技との出会いです。加えて指導者との思い出があれば、それも伺いたいです。

上村氏 私は中2でモーグルに出会いました。元々スキーが大好きで、先輩方が「愛子、一緒に練習しよう」って引っ張っていってくれました。当時はモーグルが全然知られていなくて「ホットドッグスキー」(こぶの斜面がホットドッグの表面に似ているため)と言われていた時代。それでも高校(長野・白馬高)の先生が一生懸命やっていることを認めてくれる人で、公欠とかも多かったのですが、すごく背中を押してもらえました。

狩野氏 私は小4で身長が160センチ近くあって、家族全員がバレーボールをやっていたのもあって始めました。その時の指導者の方が基本に忠実に教えてくれた。最初にバレーボールが楽しくて仕方がなかったので、競技自体を好きになれて、ケガがあったり、注目で苦しんでも乗り越えることができたと思います。

城氏 僕は小5からサッカーを始めましたが、転機は鹿児島実高でした。松沢(隆司)先生がいたからプロになれた。先生は技術的な指導をほとんどされなかった。自分で考えなきゃいけない。どう工夫して、どうしたらうまくなれるのか。今の指導者の方はものすごく勉強されていて、たくさんの情報が入ってくる。それを(生徒に)与えてしまう指導者が非常に多いですよね。自分たちで考えさせながら、そのかじ取りをするっていうのが、僕はすごくいい指導者じゃないかなって思います。

畠山氏 新体操は小1で始めて、体験で曲に合わせて踊る楽しさや、リボンのきれいさにひかれました。私は新体操愛がすごくて「やらなきゃ!」じゃなく「したい!」。そう思える心にしてくれたのは、小学校の時の先生でした。

荻原氏 そんな皆さんは何をきっかけに、世界のトップを目指したのですか。

畠山氏 中3で日本代表に入ったのですが、腰のケガとかで、実はオーディションの前に辞めようとしていたんです。オーディションに出るきっかけをくれたのは、中学の保健室の先生でした。いつも新体操のことを考えている子だったので、授業中に泣いちゃって。担任の先生に連れて行ってもらった保健室で、私が「辞めたい」と言ったときに、ずっと話を聞いてくれました。「辞めちゃダメだよ」とかではなくて、ただ話を聞いてくれることがすごくうれしかったです。

荻原氏 アドバイスも大事でしょうが、生徒さんの話をじっくりと聞いてあげることが大切なのかもしれませんね。「指導した方が…」となってしまいがちですが、黙って聞いてみる。

狩野氏 私も中3で初めて日本代表候補に選んでもらいましたが、実力で選ばれたのか謎な部分が多かった。先に(注目されて)パッと名前が先に出てしまいました。その自分に追いつこうとする自分がずっといて、話題になるのがすごく嫌でした。結構そういう暗い部分がたくさんあって…。それでとにかく毎日、自分の技を磨く練習をしていました。いろいろと葛藤があった選手生活でした。

上村氏 私は高3で(98年)長野五輪に出場する機会があり、先輩の里谷多英さんが金メダルを取った瞬間を見た時に「私もこの場所に行きたい」と初めて強く感じました。高校卒業して北野建設に所属したんですが、荻原健司さんの(W杯総合優勝)クリスタルトロフィーや、次晴さんの世界選手権金メダルを見せてもらったり…。間近でそういうものを見たことが、私にとって大きなきっかけでした。

荻原氏 今の愛子さんの話を総合すると、世界のトップを目指すきっかけは「荻原次晴」っていうことですね(笑い)。

城氏 僕は「ドーハの悲劇」が高2の時で、それをテレビで見ていてうなだれました。でも98年(W杯フランス大会)に自分が行くとは、全く思っていなかった。そこを目指して何かをやったというより、いろいろな積み重ねで、そこに行ったという感じですね。

荻原氏 僕が何で五輪を目指したかというと(双子で五輪金メダリストの)荻原健司に間違えられたくないからなんです。町を歩いていると「健司さん!」って言われて「僕、弟です」と言うと「うそつき!」って…(笑い)。それが嫌で長野五輪を目指しました。憧れで目指す人もいれば、劣等感とかで、上を目指す選手もいるということなのでしょうね。

◆荻原次晴(おぎわら・つぎはる)1969年(昭44)12月20日、群馬・草津町生まれ。早大卒業後に北野建設へ入社。双子の兄健司と共に活躍し、95年世界選手権団体金メダル、98年長野五輪は個人6位、団体5位。引退後はスポーツキャスターを中心に活動。

◆上村愛子(うえむら・あいこ)1979年(昭54)12月9日、兵庫・伊丹市生まれ。長野・白馬高から北野建設。18歳で初出場7位となった98年長野五輪から五輪5大会連続出場。10、14年は4位。10年バンクーバー五輪で「なんで(順位の上昇が)1段1段なんだろう」と思いを吐露。

◆狩野舞子(かのう・まいこ)1988年(昭63)7月15日、東京・三鷹市生まれ。八王子実践中3年時、04年アテネ五輪代表候補に中学生として24年ぶりに選出。八王子実践高を経て、久光製薬。イタリア、トルコでもプレーし、12年ロンドン五輪銅メダル。16年からPFUで18年に引退。

◆城彰二(じょう・しょうじ)1975年(昭50)6月17日、北海道・室蘭市生まれ。鹿児島実を経て94年市原(現千葉)入り。横浜、スペイン、神戸を経て03年横浜FCに。98年W杯フランス大会出場。06年に引退し、現北海道十勝スカイアース(北海道リーグ)統括ゼネラルマネジャー。

◆畠山愛理(はたけやま・あいり)1994年(平6)8月16日、東京・多摩市生まれ。17歳で12年ロンドン五輪団体7位。東京女体大に進み、15年世界選手権種目別リボンで40年ぶりの銅メダル。団体8位の16年リオデジャネイロ五輪後に引退。現在は新体操の指導やメディア出演をこなす。