丸山放つ強い「闘志」に阿部一二三は苦杯/古賀稔彦

男子66キロ級決勝 優勝を決め、ガッツポーズする丸山(撮影・大野祥一)

<柔道:世界選手権>◇第2日◇26日◇東京・日本武道館◇男子66キロ級、女子52キロ級

男子66キロ級で、初出場の丸山城志郎(26=ミキハウス)が金メダルを獲得した。準決勝では3連覇を狙った阿部一二三(22=日体大)を延長の末、下した。

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丸山のケガで誰もが阿部の勝ちを思ったはずだ。しかし、追い込まれた丸山は強い。柔道人生で何度も苦境に立たされながらも、はい上がってきた男だ。壁に当たったら耐え、次の策を探り、自ら打開してきた強さ。試合が長引くほど、それが生きてきた。

一気に攻められたら、持たなかったかもしれない。しかし、阿部は攻めてこなかった。いや、攻めることができなかった。丸山の放つ「闘志」がそうさせなかった。勝利を信じ、五輪をあきらめなかった。その強い気持ちが、阿部に攻めることを躊躇(ちゅうちょ)させたのだ。

92年バルセロナ五輪、私はケガをしながらも勝利を疑わなかった。弱みを見せれば、そこを突かれる。だから「闘志」を出し続けて相手に攻めさせなかった。痛めた足でできる次善の策を考え、一瞬のタイミングを狙って戦った。技の引き出しが多かったことも幸いした。だから、勝てた。

あきらめず、どんな逆境にも生き抜く。周囲に泣きつくことも、助けを求めることもしないのが、丸山の性格。それが分かるのは、私も似た性格だからだ。強い兄がいるところも同じ。もしかしたら、次男坊の強さなのかもしれないが。(一般社団法人古賀塾塾長)

 

◆古賀稔彦(こが・としひこ)1967年(昭42)11月21日、佐賀県生まれ。東京・世田谷学園高-日体大。一本背負い投げなど切れ味抜群の技で「平成の三四郎」と呼ばれ、92年バルセロナ五輪金、世界選手権3回優勝など71キロ級、78キロ級で活躍した。90年には体重無差別の全日本選手権で準優勝。引退後は代表コーチとして金メダリストを育て、現在は環太平洋大女子柔道部総監督。