ホッケー小野真由美“最後の五輪”監督に金メダルを

日の丸を背に笑顔を見せる女子ホッケー日本代表の小野真由美(撮影・横山健太)

集大成の舞台へ。ホッケー女子日本代表候補DF小野真由美(35=SOMPOケア)が、オリンピック(五輪)イヤーの意気込みを語った。08年北京、16年リオデジャネイロに続く3度目の夢舞台を「最後のオリンピック」と表現。「さくらジャパン」不遇時代から競技を続ける35歳は、アンソニー・ファリー監督(46)が掲げる金メダルを目標に、最後の力を振り絞って、ホッケーを愛される競技へと昇華させる。【取材・構成=益田一弘】

五輪イヤーがいよいよやってきた。35歳の小野にとって最後の舞台が近づく。

小野 私にとっては本当に最後の五輪になる。ファリー監督は目標は金メダルと明確に言う。他の人からすると「そんな無茶な目標を」と言われるかもしれないが、監督はすごく自信をもっていて、私たちは彼を信頼している。できる限り彼とホッケーがしたいし、彼に金メダルをあげたい。

さくらジャパンは5大会連続五輪出場。だが過去表彰台に立ったことはない。

小野 今までは出場が決まった後の目標は「上位進出」という感じだった。監督は月ごとの計画が具体的で、チーム状態のアップダウンも想定している。私は長く代表生活をして、彼のような指導者は初めて。相手の分析も「こういうチーム」ではなく「この選手がサークルに入ったら選択しやすいプレーはこれだ」まで。それを選手に分析させてミーティングでプレゼンさせる。戦術の能力を個人につけさせる。頑張ることは誰でもできるんです。本当に勝ちにいくには一瞬一瞬の判断が必要。コート外の監督が叫んでも、一瞬で反応するのは絶対無理です。だから選手に、自分で戦う力をつけさせてくれる。

小野は高3で初めての日本代表入り。16年リオ後は一時引退したが、東京五輪を目指して、復帰した。

小野 体はもういっぱいいっぱい。できるならずっとやっていたい気持ちはあるけど、復帰できたことが奇跡。私は歴代の日本代表ユニホームは全部着ました。サポートメンバーだったアテネの時は、2020年までプレーしていると想像してなかった。すでに引退しているはずだった。私がもし五輪にいけたなら競技として(最長で女子決勝の)8月7日で終わります。

小野が経験した04年の「さくらジャパン」は合宿が廃校のコンピューター室で雑魚寝だった。現在は多くのスポンサー獲得などによって、環境は大幅に改善された。不遇時代を知る小野には最後の舞台で、願いがある。

小野 私たち、いっぱいのお客さんの前でホッケーしたことがない。空席が当たり前なんです。東京五輪でスタンドを覆い尽くす人たちが、私たちの応援をしてくれるなら、幸せな場所です。日本の人にホッケーを生でみてほしい。私はそのために復帰もした。サッカーやラグビーやバレーボールのように、目に触れるスポーツのひとつになりたい。これまでは五輪の前後に興味をもってもらったが、常に皆が気になるスポーツにしていきたい。そのために何としても東京で結果を残すことがマストです。

5月には新設大会が開かれる。東京五輪の予行演習として絶好の機会になる。

小野 年明けから海外遠征や合宿を重ねて5月でどれだけ仕上がっているか確認したい。自分たちがどれだけの完成度になっているか。私は代表に生き残るために1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。

◆小野真由美(おの・まゆみ)1984年(昭59)8月14日、富山県生まれ。石動高、天理大をへて、07年にコカ・コーラウエストに入社。高3で初めて日本代表入り。五輪は08年北京、16年リオデジャネイロに出場。リオ五輪後に一時引退して、オーストラリアに留学。18年1月からSOMPOケア所属となって、現役に復帰した。ポジションはDF。169センチ、59キロ。