福岡堅樹は五輪でラグビー集大成…そして医学の道へ

東京五輪7人制ラグビー金メダルを現役最後の目標に定める福岡

昨年ラグビーワールドカップ(W杯)で日本代表の躍進を支えたWTB福岡堅樹選手(27=パナソニック)が、今度は東京オリンピック(五輪)7人制ラグビーで日本を熱くします。福岡・古賀市で医師の家系に育ち、五輪後は医学の道に進むことを決めている福岡選手は、ラグビー人生の集大成として完全燃焼を誓います。

175センチ、83キロ。その小さな体で記録した4トライは、開催国として戦った19年W杯の日本代表8強に結びついた。福岡は誓った。

「セブンズでも『ONE TEAM』を作りたい。サイズがない人たちが、どうやって戦っていくか。2020年は(東京)五輪がある。日本人として、より素晴らしいことにつながっていけばうれしいです」

50メートル走は5秒8。一瞬で相手を抜き去るスピードを持ち、南半球最高峰のスーパーラグビー「サンウルブズ」で大きな相手に当たり負けない強さを養った。4年前の16年リオデジャネイロ五輪。15人制と同じフィールドで戦う7人制日本代表で、4位入賞に貢献した。強さ、速さ、体力…。総合力が必要な7人制への再転向は、人生プランに掲げた1つのステップだった。

福岡・古賀市に生まれ、医師が身近な存在だった。父は同市内で福岡歯科医院を開く綱二郎さん。車で30分の場所には内科医だった母方の祖父、崎村正弘さんがいた。週末は祖父と食事し、幼心に憧れがあった。

「地元の人に慕われていて『すごくいいな』と思った。開業医で絶大な信頼度。『こういう人=お医者さん』という感じだった」

全国高校大会にも出場した福岡高を卒業。才能にほれた複数の大学からの誘いを断り、筑波大医学群を志して浪人した。同学年の選手が大学で活躍する姿を見て、最終的には1浪後に同大学の情報学群へ進学。東京五輪後に現役引退し、医師を目指すことを決めた。

「元々医師を優先していたし、引退後を考えた時にそれ以外の道を思い描けなかった。W杯、五輪という素晴らしいタイミングに『ここしかない』と決めた」

求められる能力は異なるが、福岡は7人制、15人制の利点を蓄積させてきた。

「(リオ五輪で)7人制で体力面が改善された。1本走ったら、10分姿を消すような選手だったけれど、7人制を経験して『ここぞ』という場面に、体力が残って走れるようになった」

20年東京五輪。今度は「ONE TEAM」の結束を7人制に還元する。その胸に強く刻むのは、祖父から伝えられてきた言葉だ。

「才能を持って生まれた人間は、それを社会に還元する必要がある」-

唯一無二の歩みには、その力がある。

◆福岡堅樹(ふくおか・けんき)1992年(平4)9月7日、福岡県古賀市生まれ。5歳でラグビーを始め、福岡高3年時に全国高校大会(花園)出場。医者志望で複数の大学からの誘いを断り、1浪後筑波大(情報学群)に進学。50メートル5秒8を誇るトライゲッター。16年からパナソニック。38キャップ。175センチ、83キロ。