「たかが五輪」山崎浩子強化本部長が語る重圧解放術

フェアリージャパンの歴史を振り返る山崎浩子強化本部長(撮影・山崎安昭)

<東京五輪がやってくる>

昨年9月の世界選手権で44年ぶりの団体総合銀メダルを獲得し、一躍東京オリンピック(五輪)の金メダル候補に名を連ねた新体操日本代表「フェアリージャパンPOLA」。代表選手のセレクション制を導入し、1年間で350日以上の共同生活で鍛え上げてきた強化制度の集大成に思える舞台が夏に待つが、トップの山崎浩子強化本部長(60)の捉え方はユニークに際立つ。母国五輪だからこそ、あえて言葉にする信念に耳を傾けた。【取材・構成=阿部健吾】

「たかが五輪」

東京五輪イヤーを迎え、山崎は幾度もそのフレーズを口にする。聞く人には強く響きすぎるかも知れない6文字。「強化費も頂く立場で、言い方が難しいのですが」。決して軽んじているわけではなく、その真意を聞けば実に明快だ。他競技では過剰に「金」との連呼も聞く中で、「たかが」の構えが新鮮かつ、的を射ているとうなずいてしまう。

「選手も私も、五輪に照準を合わせるより、1つの試合としてピリオドにしないようにしたい。あまりにもピンポイントに捉え過ぎると窮屈になるんです、気持ちも体も。大きな人生の中では、たかが五輪なので。悲願と考えても効果があると思えないんです」

母国開催という一見有利な条件は一転、過剰な重圧にもなりえる。人生は長く、その1つの点にすぎないのに、それが全てに思えてしまう。フォーカスすべきは金ではなく、取るために何を今するべきなのか。

山崎が「たかが」という考え方に至ったのは、医師でありマジシャンの志村祥瑚の存在が大きかった。マジックを実演する一方で、精神医学を実践する第一人者。3年前、テレビ番組で「面白いな」と感じ、すぐに連絡。いまでは選手と年に3、4回の指導を受ける。「思いこみでどうにでもなる」との教えを受け、「たかが」と言うことで、視野を広く保とうとしてきた。

そして、その先も見据えている。審判の採点傾向などもあり、出し切ったからといって、最善の結果が得られるとは限らない。山崎に言わせれば「運もある」。では、努力しても報われない時にどうするか。

「人の最大の栄誉は失敗しない心でなく、倒れても何度も起きる心にある。『人生の10%は自分で作り、90%はどう捉えるかだ』という言葉が好きで」

新年1月6日、練習始め恒例の今年の目標発表で、選手からは「全力で毎日をやり切る」という宣言が次々。「10%」のため、いま過酷な日々が続く。

新体操は難度点(技の難しさ、連係など)と実施点(芸術性、同時性など)、各10点満点の合計点で競われるが、18年に大きなルール改正があった。難度点の上限が廃止され、どれだけ難しい技を詰め込めるかの勝負となった。必須は連係技での加点。ボールなどの手具を手以外で受ける、渡す、視野の外で受ける、複数人数が関わる、同時に複数の手具を投げるなどで加点を引き出す。いまや「美しいだけの競技」ではなくなった。

より落下などのミスが多く出るようになりながら、1つのミスが致命傷になる。昨秋の世界選手権では大きな失敗なく、団体総合で44年ぶりの銀、種目別ボールで史上初の金。いま、東京へ取り組むのはさらにハイレベル。「5秒に1回だった技が、3秒に1回。これ以上は難しくできない」。習熟度合いは容易に上がらず、この冬はうまくいかない選手の涙が目立った。1日8時間にもなる毎日に、「いまが踏ん張り時」と粘り込む。

1月6日の練習では、選手たちからの「ハッピバースデートゥーユー♪」も響いた。3日に還暦を迎えた山崎をみなで祝った。贈り物は歴代の代表選手からのメッセージ板。04年に強化本部長に就任して16年。「おめでとうございます」の言葉と、感謝を伝えるOGらの顔を見つめ、「彼女たちがいてくれて、いまがあるんです」。ただ、それだからこそ金メダルとは、やはり、ならない。感謝の気持ちを持ちながら、それを背負い込むのではなく、あくまで「たかが」五輪。団体決勝は8月9日、大会最終日。最高のフィナーレを周囲に予感させながら、いま、毎日を生き抜く。8月10日以降も人生は続く。山崎はそのことを忘れない。(敬称略)

◆山崎浩子(やまざき・ひろこ)1960年(昭35)1月3日、鹿児島県生まれ。鹿児島純心女子高で新体操を始め、東京女体短大から東京女体大に進学。容姿端麗、美しい演技で79~83年の全日本選手権を5連覇し脚光を浴びる。個人では81年世界選手権で12位、84年ロサンゼルス五輪で8位入賞。引退後はタレント、スポーツライターなど多岐に活躍。04年から強化本部長を務める。