引退の北海道折茂「バスケ楽しいと思ったことない」

オンラインでの引退会見で笑顔を見せる北海道折茂(クラブの公式のYoutubeより)

今季限りでの現役引退を表明していたバスケットボールBリーグ1部レバンガ北海道の折茂武彦(49)が、27年に及ぶ現役生活の幕を閉じた。3日、新型コロナウイルスの影響でオンラインで行われた引退会見に臨んだ。93年にトヨタ自動車(現A東京)でキャリアをスタート。日本代表として2度の世界選手権(現wW杯)に出場し、19年には日本出身選手初の1万得点を達成した。今後は11年から兼任する社長を継続しながら、後進の育成に努める。

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27年の現役生活で無数のフラッシュを浴び続けてきた折茂が、報道陣のいない部屋で静かに引退の日を迎えた。「27年間支えられてここまでこれた。やり残したことはたくさんあるが、いいバスケット人生だった」。YouTubeで生配信された74分に及ぶ会見。Bリーグ現役最年長の49歳は自身の競技人生を淡々と振り返った。

日大卒業後の93年にトヨタ自動車入り。「結果が全て」と勝負にこだわり、日本一やMVPにも輝いた。98、06年には日本代表として世界選手権に出場。第一線に立ち続けたからこそ「バスケが楽しいと思ったことはない」と言う。開幕前に引退を表明して臨んだ今季は19試合出場で29得点。「プロとしてのパフォーマンスを見せられなかった」。周囲の引き留めにも引退の意思は揺るがなかった。

転機は07年。「職業欄にプロという言葉を書くのが夢だった」。37歳だった折茂は北海道に新設されたプロチーム、レラカムイ北海道に移籍した。ただ経営難で11年にクラブがリーグから除名。それでも移籍時に受けた「北海道に来てくれてありがとう」の言葉を支えに、歩みを止めなかった。自ら新たな運営会社の社長に就任し、日本代表を辞退してまでフロントトップとして背広を着て経営に参画。Bリーグ発足後の18年には債務超過も解消した。

コロナ禍で打ち切られた最後のシーズンにも学びがあった。現役最後の試合となった3月15日敵地川崎戦は無観客開催。折茂は「あらためてファンの声援は力になっていたんだなと感じた。勝つだけじゃないことを教わった」。引退後も社長をしながら、後進を育成していく。通算1万得点、9度の球宴MVP。レジェンドが培った経験を、バスケ界の発展につなげていく。【浅水友輝】

◆折茂武彦(おりも・たけひこ)1970年(昭45)5月14日、埼玉県上尾市生まれ。埼玉栄高2、3年の総体に出場し、3年時8強&得点王。日大では主将だった4年のインカレで優勝&MVP。93年トヨタ自動車入りし、日本代表初選出。94年アジア大会銅メダル、98、06年世界選手権出場。07年レラカムイ北海道に移籍。190センチ、77キロ。

<折茂の歩み>

◆出身 1970年(昭45)5月14日、埼玉県上尾市生まれ。

◆中学&高校 父の影響で小学4年から野球に打ち込んだが、中学に入り3歳年上の兄の影響でバスケットボールを開始。中学3年間で身長が33センチ伸び、埼玉栄進学時には190センチに。2、3年の総体に出場し、3年時は8強で得点王。ジュニア日本代表にも選出。

◆大学 日大主将だった4年時に全日本大学選手権で優勝&MVP。盟友の佐古(中大)とは大学の寮が同じ沿線沿いで、当時から愚痴を言い合う仲。

◆トヨタ自動車 93年入団。3季目の95-96シーズンに「3PT賞」で初タイトル。ベスト5初選出の96-97シーズンから8季連続でリーグ日本人最多得点。01-02シーズンにMVP。在籍最後の06-07シーズンにはスーパーリーグで2年連続3度目の優勝を達成。

◆レラカムイ北海道 07年に移籍。40歳で主将を務める。10-11シーズン中に前所属の運営会社が除名処分に。自ら新たな運営会社を立ち上げて、異例の代表兼選手として再出発。

◆レバンガ北海道 19年1月5日三河戦で史上3人目、日本出身選手初の1万得点を達成。20年1月18日北海道初開催のオールスターで通算9度目のMVP。3月15日敵地での川崎戦が現役最後の試合となった。

◆日本代表 94年にアジア大会(広島)で日本代表に初選出され、銅メダル獲得に貢献。97年アジア選手権準決勝サウジアラビア戦でチーム最多26得点を挙げ、翌98年の世界選手権31年ぶり出場につなげた。98、06年の世界選手権出場。

<チームメイトらからのコメント>

◆桜井良太主将(37) A東京時代から、いろいろお世話になりました。これからは社長として活躍してください。

◆橋本竜馬(31) 今後、もっと難しいことが起こるかもしれませんが、一緒に話せる間柄になれたら。

◆多嶋朝飛(31) 7年間、自由にプレーさせてもらい成長できた。変わらず若々しくいてほしい。

◆自身も今季限りで引退した松島良豪(28) 勉強させてもらったことを、指導者になって若い人たちに受け継いでいきたい。

◆日本代表時代の盟友で男子日本代表アシスタントコーチの佐古賢一氏(49) 6月のセレモニーで折茂とプレーできると聞いて、ひそかに体をつくっていた。50歳手前で体をつくることが、どれだけ難しいか感じた。これからは、お互いにバスケットボール界を盛り上げていきたいし、その手助けをしてほしい。