池江璃花子、涙の復帰戦「第2の水泳人生の始まり」

女子50メートル自由形を終え、涙をぬぐいながら引きあげる池江璃花子(代表撮影)

<競泳:東京都特別大会>◇シニアの部◇第1日◇29日◇東京辰巳国際水泳場◇女子50メートル自由形

白血病から再起を目指す競泳女子の池江璃花子(20=ルネサンス)が、涙の復帰を飾った。

昨年1月13日以来594日ぶりのレースで自身が日本記録24秒21を持つ女子50メートル自由形の5組に登場。26秒32で同組1着、全体の5位に入って涙を流した。目標だった日本学生選手権(10月、東京辰巳国際水泳場)の参加標準記録26秒86も突破。24年パリオリンピック(五輪)に向けて「第2の自分の水泳人生の始まり」と宣言した。

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池江は、じっとスタート台を見つめた。「戻ってきたなあ」。号砲への反応速度は、筋力がまだ戻っていないために10人中10番目の0秒70。しかし浮き上がると加速していく。25メートルで体半分のリード。ラスト15メートルで追ってくる2位の姿が目に入った。「体が動かない。でも負けたくない」。50メートルを息継ぎ1度で泳ぎ切る。目標の26秒86を大きく上回る26秒32で同組1着。プールから上がると、顔を赤く染めて涙を流した。西崎コーチに「どうだった?」と聞かれ「すっきりしました」と目を輝かせた。

「すごく緊張した。第2の自分の水泳人生のスタート。1番だと思ってなかったのでうれしかった。この場所で泳げて自分のことだけど、感動した」。

1年7カ月ぶりのレース。家族からは「とにかく楽しんで」と送り出された。東京出身の池江にとっては「辰巳」は通い慣れた会場。「久しぶりにこの道を通るなあ。胸がキュンと締め付けられた」。レース前は親友の今井に「緊張している?」と突っ込まれた。「1年半出られない悔しさをぶつける機会。誰かに勝つとか、泳ぎ切るじゃなくて、ここまで戻ったことを見てもらいたいと思った」。

何度聞いても、切なくなる。東京五輪のヒロイン候補が昨年2月から白血病で10カ月の入院生活。「毎日吐いたし、1日に何度も戻した」。体重の10キロ減、抗がん剤治療で髪も抜けた。

昨年9月の日本学生選手権は一時退院の許可を得て3日連続で辰巳に通い日大を応援した。メガホンを持ち、立ち上がり、仲間の泳ぎに涙した。最終日は集合写真に入って「今年は出られずに本当に悔しかったので、必ずまたリベンジします」。仲間との集合写真を励みに病と向き合った。日本学生選手権は1年前からの“誓い”だった。参加標準記録の突破に「目標がかなえられたところを見てもらいたい」と喜んだ。

急回復をみせるようにうつる20歳だが、まだレースに復帰したばかり。体調が最優先であることは変わりない。西崎コーチは「2024年が最大の目標。年末までは体作り」と、コロナ禍でもあり慎重に見極める方針。池江は「1番は24年パリ五輪に出場すること。今は全力でタイムを出すではなく、パリに向けて体を戻していければ」と1歩ずつ進んでいく。【益田一弘】

○…今大会は無観客で行われ、主催の東京都水泳協会が動画サイトで試合をライブ中継した。池江のレース前後は約1万人が閲覧。会場の収容人員5000人の2倍にあたる人が、20歳の復帰劇を見守った。池江のゴール直後には選手、指導者ら関係者だけのスタンドから拍手が起こったが、池江は「聞こえていませんでした」と苦笑い。招集所でのマスク着用など、感染症対策もとられていた。

▽日本代表の平井伯昌ヘッドコーチ「体形はほっそりしているが、浮き上がりからの泳ぎは片りんがあった。屈託ない笑顔で水泳が好きなんだなと思った。彼女の水泳への取り組みは、トップ選手も大いに参考になると思う。慌てずにパフォーマンスを戻してほしい」

▽17年世界選手権銀メダルの大橋悠依「26秒8を目指して26秒3台。さすがだなと思った。璃花子が戻って水泳界も勢いがつくと思うので自分も引っ張りたい」

▽今井月(池江と同学年)「本当にいい泳ぎをしているなと思った。私も負けないように、刺激を与えられるようにしたい」

▽女子自由形の大本里佳「速い、すごいなと思った。(目標が)26秒80でそれを大幅に超えてくるあたりがすごい」

<白血病から復活した主なアスリート>

◆早川史哉(サッカーDF) 新潟に入団した16年4月に急性白血病を発症。昨年10月5日の鹿児島戦で約3年半、1287日ぶりに公式戦復帰を果たした。今季も23日現在でJ2で8試合出場している。

◆岩下修一(プロ野球投手) 99年にオリックスに入団。1年目の00年には初勝利も挙げたが、01年に急性骨髄性白血病を発症。約4カ月入院して抗がん剤治療で回復。02年の開幕戦で3番手で登板して復帰。06年に日本ハムに移籍。現在は打撃投手。

◆ノブ・ハヤシ(格闘家) 99年K-1ジャパンGP準優勝など、ヘビー級で活躍していたが、08年に急性骨髄性白血病を発症。09年に治療を受けて復帰したが、10年に再発して骨髄移植を受け、13年にリング復帰。昨年12月には青木真也と対戦。

<池江の経過>

▼19年1月13日 三菱養和スプリントに出場。得意の100メートルバタフライで1分0秒41と精彩を欠いた。 

▼同2月8日、オーストラリア合宿中から緊急帰国、白血病と診断されて入院した。

▼同12日 ツイッターで病気を公表。

▼同3月6日 SNSで「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」とつづった。

▼同12月17日 10カ月の闘病生活をへて退院。今後の大目標を「2024年のパリ五輪出場、メダル獲得」とした。

▼20年3月17日 406日ぶりのプールに入り「言葉に表せないぐらいうれしくて気持ちよくて幸せ」。 

▼6月16日 西崎勇氏をコーチに迎える新体制を発表。

▼7月2日 練習を公開、当面の目標に日本学生選手権(10月、東京辰巳国際水泳場)を掲げた。

▼同23日 五輪1年前セレモニーに登場。国立競技場で聖火を掲げ「1年後の今日、この場所で、希望の炎が、輝いていてほしいと思います」。大役を終えて大粒の涙を流した。