田畑真紀めい妃毬 被災地から五輪への夢かなえる

将来の五輪出場を目指してスケートに打ち込む田畑妃毬(撮影・浅水友輝)

スピードスケートで全国トップ級の活躍を見せる鵡川中1年の田畑妃毬(ひまり)が被災地から夢を追う。道内に大きな被害をもたらした北海道胆振東部地震から2年を迎えた6日、帯広市内で開催中の明治北海道十勝オーバル競技会第1戦に出場した。地震発生時は叔母で五輪5大会出場の田畑真紀(45=駒大苫小牧高監督)とともにむかわ町で被災。苦難を乗り越え、憧れの叔母が立った世界の舞台を目指している。

「まだ滑ったことのない距離。初めての長い距離でちょっと不安です」。4月に中学生になった田畑。2月の全日本ノービス500メートル2位の実力者でも今季初戦となる記録会を前に緊張していた。中学でのデビュー戦は社会人も相手の一戦に「次につなげられるレースにできれば」。そう臨んだ1500メートルは46位。ここからまた新たな1歩を踏み出す。

18年9月6日。むかわ町を震度6強の揺れが襲った。「一緒に寝ていなかったら死んでいたかも知れない」。当時、実家に帰省していた叔母真紀と寝ていた。「真紀ちゃんが妃毬のことをがって(抱きかかえて)2人で転がったので何もなく無事だった」。叔母真紀も「何かが倒れる気配を感じた。瞬間で守らなきゃと思った」と振り返る。揺れが収まった後に見渡すと、倒れていたのは民謡の楽譜台だった。

田畑にとって「家族みたいな存在」だという叔母は週1度ほどのペースで自身が暮らす家に訪れる。五輪5大会出場の実績があり、現在も高校の監督をしながら現役を続けている町のヒロイン。団体追い抜きで銀メダルの10年バンクーバー大会、5度目の出場となった14年ソチ大会は叔母の応援で会場を訪れた。「メダルを取ったときは2歳だったので寝てたけど、盛り上がっているのは覚えている」。2歳でスケートを始めた田畑にとって常に憧れの存在だった。

震災から2年がたった今でも「散らかっている部屋が頭の中に残っている」。1人で寝ていたロフトは「怖くて」使わなくなり、枕元にはライトを置くようになった。震災の記憶は消えない。それでも気付いたこともあった。田畑は「震災の年は全然練習ができなくて1人で走っていた。みんなで集まって練習するのも当たり前じゃないんだなと思うようになった」。日常のありがたさをかみしめ「練習すれば練習するほどタイムが出る」と練習に打ち込む。五輪出場の夢を問われた田畑は力強く「はい」と答えた。【浅水友輝】

◆田畑妃毬(たばた・ひまり)2007年(平19)5月14日、むかわ町生まれ。兄、姉の影響で2歳で競技を始め、鵡川中央小1年で鵡川スピードスケート少年団に入団。6年の全日本ノービスで小学6年女子500メートル2位、1000メートル23位。並行していた民謡では小学4年で「どさんこ甚句、どさんこ舟唄全国大会」少年少女の部で優勝。好きな食べ物はキュウリ。家族は両親と兄、姉。156センチ、49キロ。

◆北海道胆振東部地震 2018年9月6日午前3時7分、北海道胆振地方中東部を震源として発生したマグニチュード6・7の地震。震源の深さは37キロ。厚真町で最大震度7を記録した。震災関連死3人を含む死者44人、重軽傷者785人。厚真町では土砂崩れなどで37人が犠牲になった。住宅被害は全壊491棟、半壊1816棟。厚真町の苫東厚真火力発電所で火災が発生し全道で停電が起きた。※被害状況は20年9月1日現在。