ブルボンKZ青柳総監督がシンガポール代表監督就任

水球のシンガポール代表監督に就任したブルボンKZ・青柳総監督

ブルボンウォーターポロクラブ柏崎(ブルボンKZ)の青柳勧総監督(40)が水球のシンガポール代表監督に就任し、ビザが下りる今月中旬には現地に赴く。日本人初の外国代表チーム監督で契約は2年。一般社団法人化しているブルボンKZの理事の籍を残し、同クラブの発展にも代表監督の立場で寄与する構えだ。

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挑戦者の血は沸き立っていた。開拓精神は衰えを知らない。日本人初となる外国の水球代表監督就任。シンガポール協会の世界規模の公募に手を挙げ、厳しい審査を経て2年契約が決まった。19年に東南アジア大会連覇が27大会連続で途絶えた代表のテコ入れがミッションだが、代表監督就任を機にブルボンKZの新しい道も探る。

青柳総監督 「誰もできないことをやりたい。常に新しく、みんなを驚かすようなクラブ運営をしなければ魅力あるクラブにならない。チームの海外進出、海外の拠点作りも考えている」

ブルボンKZとシンガポールは縁が深い。16年にクラブが同国に招待され、交流が始まった。以後はシンガポール代表をはじめ、同国のクラブチームや高校が毎年のように柏崎市で合宿。そんな関係をさらに密接にする構想がブルボンKZ選手のシンガポール派遣だ。クラブのU-22に相当する新潟産大(学校とクラブの二重登録が可能)の学生らを練習に参加させ、双方の強化を図る。

青柳総監督 「新潟産大は4月にオンライン化された通信科が新設される。語学を学び、視野を広げたい学生は向こうで水球をしながら大学を卒業できるようになる。柏崎市内に冬場の練習ができるプールがないだけに社会人選手がオフの半年、向こうで練習すれば代表にとってもチームにとってもプラスになる」

誰も歩んだことのない道を常に突き進んできた。06年イタリア・セリエA1のシステマ・ブレッシアに所属。セリエA1の日本人選手第1号となり、日本人で初めて欧州選手権出場を果たした。水球の大卒選手の受け皿として10年ブルボンKZを創設。12年日本選手権で優勝し、16年リオ五輪には代表4人を輩出した。柏崎市役所は17年に水球推進室を新設。東京五輪ではリオ五輪金のセルビアと、モンテネグロのホストタウンになっている。行政と一体になって「水球のまち柏崎」を発信中だ。

青柳総監督 「日本一や五輪選手だけではクラブの存在は薄れる。10年、20年後を考えると町の経済活動に影響を与えるクラブになっていなければと思う」

シンガポール代表強化に軸足を置きながら、ブルボンKZの飛躍へ力を尽くす。【涌井幹雄】

◆青柳勧(あおやぎ・かん)1980年(昭55)8月19日生まれ、京都府出身。鳥羽高-筑波大。高校3年時に史上最年少(当時)の18歳で日本代表入り。大学2年時に1年間休学しスペインに武者修行。欧州ではイタリア、モンテネグロのクラブでもプレー。入団交渉も自身で行い、スペイン語、イタリア語、セルビア語、英語に堪能。15年現役引退。185センチ、95キロ。血液型AB。