新潟離れる五十嵐圭「チャンピオンシップ、あれ以上は体験できない」

移籍の心境を話した五十嵐

B1新潟から来季B1に昇格するB2群馬に移籍したPG五十嵐圭(41)が新潟を離れる心境を明かした。五十嵐は6月30日に新潟を退団、1日に群馬への入団会見を行った。Bリーグ開幕の16年から5季在籍した地元新潟での選手生活は特別な思いがあった。【構成・斎藤慎一郎】

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群馬の入団会見が終わり、新潟に戻ってお世話になった人たちと会うと、移籍の実感が湧いてきました。気持ちを切り替えなければならないのですが、なかなか簡単にはできませんね。

最後まで悩みました。新潟での5季は特別です。三菱電機名古屋を退団後、ふるさとのチームに声をかけていただいて。16年7月1日にアオーレ長岡で行った入団会見で言った「この地でユニホームを脱ぐ覚悟で」の言葉にうそではないですし、今も思っています。

技術的に自信を取り戻させてくれて、人間的にも成長させてくれたのが新潟でした。入団してから最初の3季は平均30分くらい出場しました。まだまだやれる、若い選手には負けない、という気持ちになりました。今回ほかのチームから必要とされるようになれたのも新潟で成長できたからです。もっとやれる、という部分を試したくなったのが移籍の理由の1つです。

新潟ではふるさとのファンへの恩返しのつもりでプレーしました。18-19年に中地区で優勝したとき、少し恩返しできたかなと。負けはしましたが、アオーレ長岡でのチャンピオンシップ1回戦、A東京との2試合は、今後あれ以上は体験できないだろうと思うくらいの一体感と盛り上がりでした。

どんな状況でも応援してくれるファンが新潟にはいます。クラブにはそういう方々を大切にしてほしいです。新潟のファンが作る一体感はほかのチームにはありません。クラブにはファンと一緒に戦っていってもらいたいというのが僕からのお願いです。

群馬で「新潟にいたときより良くなった」と言われるのが、これからの恩返しの形だと思っています。どこに行っても新潟がふるさとであることには変わりません。(五十嵐圭)

◆五十嵐圭(いがらし・けい)1980年(昭55)5月7日生まれ、新潟県上越市出身。直江津東中から北陸高(福井)に進み、中大へ進学。卒業後は日立に入社。06年は日本代表として世界選手権に出場。09年にトヨタに移籍し、10年から三菱電機名古屋に所属。16年に新潟に移籍。18-19年はレギュラーシーズン59試合出場、1試合平均得点11・5点、同アシスト5・2で中地区初優勝に貢献した。20-21年は47試合出場、1試合平均得点7・5点、同アシスト4・1。ポジションはPG。180センチ、73キロ。