北京五輪まで100日 原田雅彦総監督、選手へテーマは「ハッピー」

北京五輪日本選手団総監督を務めるジャンプ原田氏(撮影・保坂果那)

2022年2月4日の北京冬季オリンピック(五輪)開幕まで、27日であと100日となった。

日本選手団の総監督に就任した98年長野五輪スキージャンプ男子団体金メダリストの原田雅彦氏(53=雪印メグミルク総監督)が節目に、本番を目指す選手たちへ、自身の経験ももとにエールを送った。【取材・構成=保坂果那】

北京五輪の開幕まで、ちょうど100日の節目。開会式には原田総監督も日本選手団を代表する立場で参加する予定だ。92年のアルベールビルから06年トリノまで五輪5大会を経験したが、今回は新型コロナ禍の冬季五輪。影響を考えながら、自身の責任や役割を、しっかりと受け止めている。

原田総監督 コロナ禍で、現地などの情報が少ない五輪になるだろうと思う。(中国は)スキーに関しては、なじみのない国。ジャンプは何回か飛べば台の感覚はつかめるが、アルペンや距離は天候などに左右される。選手やスタッフは不安だと思う。なるべくその不安を取り除いてあげたい。それが我々の仕事。選手たちが、安心安全に競技ができるように努めたい。

6月に日本オリンピック委員会(JOC)の理事に就任。10月7日に、選手団の総監督就任が決まった。

原田総監督 大変責任がある。それを受け止めて、力になれるように頑張ろうと思う。日本選手団団長(伊東秀仁氏)を補佐して、期間中は応援、視察、各国の情報収集など、選手にとって最良のコンディションと環境をつくるのが仕事。

当然、知り尽くしたジャンプだけではなく、全競技のサポートに徹する。フィギュアスケート男子で3連覇を目指す羽生結弦ら、メダル獲得が期待される主役候補たちへも、エールを送った。

原田総監督 羽生選手には、ぜひうまくコンディションを整えて、3連覇を達成してほしい。月並みだけど、楽しくやってください。世界中の方に感動してもらえる演技ができれば、メダルも取れる。

現役時代、「ハッピー・ハラダ」と呼ばれた。目尻を下げて笑い、その人柄とともに世界を魅了した。伝えたいテーマは「ハッピー」だ。メダルとともに、失敗を乗り越え、成功をつかんだ五輪の経験がある。重圧に打ち勝つ方法も伝授するつもりだ。

原田総監督 自分が満足いくようにやって欲しい。悔いのないように、やり切ったなといえる五輪にしてほしい。羽生選手は、特にみなさんからの期待が大きいですから。自分が本当にいい滑りだったなと思えるような五輪にして欲しい。プレッシャーはとんでもないと思う。とにかく、人のために滑るのではなく、自分のためにやって欲しい。スピードスケートの高木美帆選手、小平奈緒選手も大きな期待を背負っている。全力を出し切って欲しいです。

本職のジャンプ陣では、男子の小林陵侑、女子の高梨沙羅、両エースが金メダル候補とされる。

原田総監督 高梨沙羅ちゃん、今度は何色のメダルを取るのでしょう? 小林陵侑もメダルを取るかな? 新種目の混合団体も非常に楽しみ。日本は平昌五輪から、さらに強化されている。逆に、欧州勢が息切れしているように見受けられる。(日本勢にとって)いいタイミングの大会になるんじゃないかな。

五輪代表選考も、ここから本格化し、厳しい争いがスタートする。

原田総監督 100日前。いろんな意味で緊張感も高まってきている。五輪にピークを持っていく器用なことは、みんなができることじゃない。これから、W杯など目の前の大会で活躍しながら、五輪に向けて全力でやっていくのがいいと思う。

1年延期となり、コロナ禍で厳しい制限下で開催された夏の東京五輪で日本は計58個ものメダルを獲得した。冬も続きたい。

原田総監督 東京五輪が勇気を与えてくれた。五輪が開催されることに喜びを感じ、そこに日本代表として選ばれた誇りを胸に、全力で戦って国民のみなさんに勇気と感動を与えたい。ぜひ、我々も北京から、みなさんに元気な姿をお届けしたい。

◆原田雅彦(はらだ・まさひこ)1968年(昭43)5月9日、北海道上川町生まれ。東海大四高から87年に雪印乳業入り。五輪は92年アルベールビル大会から5大会連続出場。94年リレハンメル五輪男子団体銀、98年長野五輪男子団体金、個人ラージヒル銅と3つのメダルを獲得した。06年に現役を引退し、雪印メグミルクコーチに就任。14年に監督となり、21年から総監督。6月に日本オリンピック委員会(JOC)理事に選任され、全日本スキー連盟では15年から理事を務めている。12月のユニバーシアード冬季大会(ルツェルン=スイス)では、日本選手団の団長を務める。

<原田氏と五輪>

▽まさかの銀 94年リレハンメル五輪男子団体で日本は2位ドイツに大差をつけ、トップで2回目アンカーの原田へ。105メートル(K点120メートル)飛べば金メダルだったが、まさかまさかの97・5メートル。失敗ジャンプで逆転を許した。

▽涙の金 続く98年長野五輪男子団体では3人目で飛び、大雪の影響もあり1回目は79・5メートルとまたも失敗。日本は4位で折り返した。2回目は、137メートルの大飛躍で大きく貢献。アンカー船木に託し、「船木~、船木~」と声を震わせながら見守る場面は、今も語り草。インタビューでは「やったー、やったよー、あああああー」と号泣。

▽最後は失格 06年トリノ五輪個人ノーマルヒル予選では、規則違反で、まさかの失格となった。スキー板の長さに対し、体重が規定に200グラム足りなかった。「私の初歩的ミス」とコメント。五輪後、このシーズンをもって現役引退した。