【新春インタビュー】錦織圭、父親となった32歳 再び4大大会決勝へ決意

2022年の目標に「挑戦をし続ける!!」と掲げた錦織(撮影・鈴木みどり)

絶対に、また4大大会の決勝に進みたい! 男子テニスで元世界4位の錦織圭(32=フリー)が日刊スポーツの単独インタビューに答え、「2~3年後には、またグランドスラム(4大大会)のベスト4、決勝に戻る」と復活宣言だ。22年は、そのステップを踏む第1歩。20年12月11日に結婚し、21年夏には第1子が誕生した。父となった新生、錦織が完全復活を誓う22年だ。

20年に新型コロナウイルスの感染拡大が始まって以来、錦織のテニス人生も二転三転した。右ひじの手術、サーブの大改造、コーチ変更、新型コロナ感染、そして結婚だ。右ひじの手術から本格的に復帰した21年を経て、22年以降は再挑戦の年となる。

錦織 2~3年後には、またグランドスラムでベスト4や決勝とかやってみたい。そのために、22年は大会で決勝進出や優勝し、早く世界ランキング20~30位に上げたい。

テニス界では、世界20~30位は重要な意味を持つ。4大大会でつくシードの数は32。シードさえつけば、3回戦まではランク下が相手だ。

錦織 シード権を得られないと、1回戦からランク下だったり、トップ10だったりと、ドロー(対戦相手)が荒れる。ランダム的に、早い回戦でトップ10の選手に当たり負けというのが続くと、一生、(世界ランクは)上がらない。まず20~30位になり、シード権を得れば、成績も安定する。

21年末で32歳になった。07年10月にプロに転向し、22年は15年となる。

錦織 モチベーションは変わらない。まだ、上に戻りたい、トップ10に戻りたいという気持ちも強い。5~6年は、テニスが好きで、やめられなくてやるだろうなというのもある。

ただ、この数年は、苦悩の時間であったことも確かだ。特に21年は、なかなか調子が戻らず、悩まされた。

錦織 自分のテニスがなかなか戻ってこないのが、これまでで一番、長くて。もう戻ってこられないんじゃないか、一生このままで行くのかと。いろんな不安がよぎった。いくら練習しても、調子が戻ってこない。今までにないつらさだった。

そのプレーが、突然、戻ったのが東京オリンピックの男子シングルス1回戦だった。世界7位(当時)のルブレフ(ROC)にストレート勝ち。トップ10への金星は約2年8カ月ぶりだった。

錦織 何がきっかけか分からないが、試合に入った瞬間に、集中力も高く、感覚が一気に戻ってきた。あれ、ミスらない、おかしいなと(笑い)。戻った理由は分からないが、オリンピック(五輪)という舞台だったのも、確かに要因としてはあったかも。

続く9月の全米3回戦では、世界王者ジョコビッチ(セルビア)から、18年ウィンブルドン準々決勝以来のセットを奪った。

錦織 ずっと軽くあしらわれている試合が続いていた。18年のマドリードやローマの時は惜しかったけど、そこから1回も手応えを感じた対戦はなかった。それ以来の感覚で、ちょっと戦えたかなと、手応えも戻った。

ただ、少しプレーが戻ってくる時期が遅かった。後半も世界ランキングを大幅に上げることはできなかった。

錦織 1年を通じて、中堅の選手に悩まされた。昔だったら、何とか勝っていた選手に、競い負けるというのが復帰を遅くしていたと感じた。ぎりぎりでも勝って、次の試合でというチャンスがあれば、少しは変わっていたかもしれない。何回か、腰を折られた。

そうしているうちに、9月のサンディエゴオープン直前には腰を痛めた。

錦織 実は、腰から、股関節に来た。少しダメージがたまったみたいで、今はリハビリをしている状態。きちんとした状態にしたいので、復帰はまだ(いつか)分からない。

けがに対して、若いときには一生付き合っていく友人みたいな関係と言っていた。しかし、年齢を経ると、少し心境にも変化が出る。

錦織 活躍ができたと思うとけが。出たくいを、毎回、(けがで)たたかれて。なかなか、にょきっと出られない。今は、全く大丈夫だが、あと2~3回、このようなことが続いたら、もしかしたらメンタルがおなかいっぱいになっちゃう。もう無理となってしまわないか、ちょっと怖いと思い始めた。

ただ、今のところ、年間を通じた大会数や日程の見直しなどは考えていない。

錦織 この状態で、大会数を減らしたりはリスクが高すぎる。試合をすることでしか調子は戻せない。今、試合に出ないというのは、ちょっと遠回りになっちゃうという怖さもある。ただ、トップ20や10に戻れれば、その時は大会数を減らすことは考えられる。

21年夏、第1子が誕生し、父親にもなった。転戦が続き、なかなか家にも帰れない中、子育ても大事な父の役目だ。

錦織 頼むから、うんちしてないでくれって、毎回願いながら、おしめ替えてる。ただ、子どもを育てるのと、テニスへのモチベーションは全く別物。子どものかわいさと、自分のテニスに対する情熱は、まだリンクはしていない。

1月17日に開幕する全豪(メルボルン)が復帰の目標となる。もし間に合わなくても、まずは体を完璧な状態にして、トップ10、4大大会決勝に向けた再挑戦の年にする。【吉松忠弘】

<錦織と4大大会本戦>

◆全豪オープン 過去10度の出場で、最高成績はベスト8で4度(12、15、16、19年)。19年準々決勝のジョコビッチ戦は負傷のため、第2セット途中に棄権となった。

◆全仏オープン 過去11度の出場で最高成績は8強(15、17、19年)。19年準々決勝はナダルに0-3で敗退。日本男子86年ぶりの全仏4強を逃した。

◆ウィンブルドン 過去の出場は12度。18、19年のベスト8が最高成績。19年の準々決勝は、大会最多8度の優勝を誇る芝の王者フェデラーに1-3で敗れた。

◆全米オープン 過去11度の出場。シングルスでは男女通じて日本人初のグランドスラム決勝進出を果たした14年に準優勝。決勝はチリッチに敗れたが、準決勝でジョコビッチを撃破した。16、18年には4強入りがある。

☆錦織圭(にしこり・けい)1989年(平元)12月29日、島根県松江市生まれ。5歳でテニスを始め、13歳で米国にテニス留学。08年2月に日本男子史上2人目のツアー優勝を成し遂げた。12年全豪で、日本男子80年ぶりの8強入り。14年全米ではアジア男子シングルス初の4大大会準優勝。15年2月には、当時、男女を通じて伊達公子と並ぶ日本最高位の世界ランキング4位となった。16年リオデジャネイロ五輪では男子シングルスで銅メダルを獲得。日本テニス界に96年ぶりのメダルをもたらした。178センチ、74キロ。