東日本大震災から、11日で11年。アイスホッケーアジアリーグの東北フリーブレイズに所属する釧路出身のFW山本和輝(35)と札幌出身のFW田中遼(34)は11年前、練習直前のリンクで被災した。今も当時を思い返しながら、氷上に立てることへの感謝を胸にプレーする。拠点とする東北に、これからも勇気を与え続けたいと願う。
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未曽有の大地震発生から11年。震災を経験した山本は当時を思い返して切り出した。「たくさんの方が亡くなられて、非常に残念な思い。まだまだ不自由な生活を送られている方々がたくさんいると思う。僕たちはスポーツで、被災された方々に力と勇気を与えていきたい」。東北を拠点にプレーする選手として、今でも震災のことを忘れることはできない。
11年3月11日、午後2時46分。山本ら東北フリーブレイズの選手たちは福島・郡山にいた。翌日予定していた公式戦に備え練習する直前、大きな揺れが襲ってきた。山本は鮮明に覚えている。「氷上に乗る直前ですね。リンクの壁とかが崩れてきて、外国人の選手もいましたが地震になれていなくて。みんなびっくりしていた」。選手たちはすぐに身に付けていた防具を外し、屋外に駐車されているバス内へと避難。その後所属先が所有するホテルに数日間滞在した。
地震による津波の影響で、太平洋側に位置する本拠地の青森・八戸も大きな被害を受けた。チームはボランティアで被害にあった人々のもとへ出向き、土砂の除去作業などを手伝った。入団1年目のシーズンだった田中遼も不安だった。暮らしていた寮も電気と水道が止まった。「寮とは別に合宿所があって、そこは電気も水道も通っていたので、そこに移って生活していました」。地震発生直後は電話がなかなかつながらなかった。翌日ようやくつながり話した時の、震えている両親の声は今も忘れない。
チームは今季、6日に行われたアジアリーグ・ジャパンカップ後期リーグで優勝を決め、プレーオフ進出を決めた。田中遼は力強く口にした。「まだ復興していない地域もある。11年たっても元の生活に戻っていない人もいると思う。東北に拠点があるチームとして、絶対忘れてはいけない。その方々に本当に少しでも、勇気を与えていく責任がある。その責任を果たしていかないといけない」。スポーツの力を強く深く感じながら、歩んでいく。【山崎純一】
◆山本和輝(やまもと・かずき)1986年(昭61)11月12日、釧路市出身。4歳からアイスホッケーを始める。釧路鳥取中、駒大苫小牧、東洋大と進み、09年に東北フリーブレイズ入団。ポジションはFW。177センチ、85キロ。
◆田中遼(たなか・りょう)1987年(昭62)4月22日、札幌市生まれ。札幌上野幌東小1年時に札幌ノースウルフアイスホッケークラブで競技を始める。中学時代は札幌フェニックスでプレーし、北海、明治大と進み10年に東北フリーブレイズ入団。ポジションはFW。179センチ、82キロ。
◆東北フリーブレイズ チーム名称は「氷上を自由自在に翔けあがり鋭く切り拓く」の意味から。08年にアジアリーグ新規参入を目指して発足。09年に新規加盟が了承され、東北地方初のトップリーグチームに。11年に初優勝(東日本大震災のため、ハルラと同位優勝)などリーグ優勝は3度。八戸市(青森)と郡山市(福島)の2地区をホームタウンとしている。ホームアリーナはフラット八戸。