アーチェリーの五輪2大会メダリストの山本博(59=日体大教)が、2024年パリ五輪への『第1関門』を突破した。
全日本選手権の予選ラウンドが22日、東京・夢の島公園アーチェリー場で行われ、04年アテネ大会以来20年ぶりの五輪出場を目指す山本は23位で通過。3年ぶりの決勝ラウンド(23日)進出を決めるとともに、11月5、6日の23年ナショナルチーム選考会の出場権も手にした。
身上の“勝負強さ”は健在だった。最終12エンド。1本目で10点満点を出した後、7点、8点と続けて外した。そこからが真骨頂。残る3本すべて10点をそろえてみせた。「最後3本は開き直って攻めるぞと。まだ自分の中に昔の何かが残っていた。だから辞められないね」と、山本は少しおどけて笑った。
20年に右手指先のしびれの原因だった胸郭出口症候群の修復手術を受けてから、成績がガクンと落ちた。全日本は20年72位、21年52位と2年連続予選落ち。「あきらめたくなるほど辛かった。メダルを取った人間がこんな順位になってまで全日本に出ていいのか。他のメダリストに申し訳ない気持ちになった」という。
折れそうな心を支えたのが、高校、大学と30年以上に及ぶ教師生活で接した子どもたちの顔だった。「挫折した多くの子どもたちを励ましてきた。あきらめるな、頑張ればきっといいことがあると。そう言ってきた人間が、ここで続けないとだめだろうと思った」。今春から右手の筋肉が少しずつ戻り、スコアも再び上昇カーブを描き始めた。
五輪は初出場の84年ロサンゼルス大会で銅、20年後のアテネ大会で銀メダルを獲得した。その後、出場機会はなかったものの、アテネ大会後に公言した「次は20年後の節目で迎える24年の五輪で金メダル」を目標に、第一線で競技を続けてきた。3年ぶりの全日本の予選通過で、その夢の道が次につながった。「ここまで続けたんだから、もう1回、みんながびっくりするようなハッピーエンドをつくりたいね」と、言葉も弾んだ。
もっとも首位のスコアとは32点の差がある。トップクラスとの力の差は小さくはない。「みんな体幹近くの筋肉をグッと伸ばして射るのでブレがない。自分は筋肉がガチガチで動かないので、つい前腕の小手先を使おうとするので、矢が微妙に広がる」と山本。年齢による身体的ハンディを承知の上で「ナショナルチーム選考会まで2週間。筋力はつかないので、今ある筋肉をどうコントロールか模索していく」と、40年以上に及ぶキャリアを総動員して次の戦いに臨む。
パリ五輪は来年のナショナルチームのメンバー16人に入ることが前提条件。全日本で予選を突破した32人が、11月のナショナルチーム選考会に進む。今月31日に60歳の誕生日を迎える山本は、“還暦アスリート”として日本代表復帰を目指すことになる。「赤いちゃんちゃんこならぬ、赤いユニホームを選考会のためにオーダーした。お蔵入りしなくてよかった」。その前に23日の全日本の決勝ラウンドで、04年以来の優勝を目指す。【首藤正徳】