浅田真央さん32歳 トリプルアクセル 再び挑戦する理由

練習中笑顔を見せる浅田真央さん(撮影・たえ見朱実)

プロフィギュアスケーター浅田真央さん(32)が座長を務めるアイスショー「BEYOND」が7月の東京・立川公演(1~17日)で千秋楽を迎える。

10カ月に及ぶ全国ツアーのフィナーレを前に、ロングインタビューに応じた。いま再びトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に挑む理由、24年秋に立川市に完成予定の新スケート場「MAO RINK」への覚悟、スケーター、指導者としての未来像に及ぶまで。その心境を聞いた。【取材・構成=阿部健吾】

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6月上旬、仲間と円になって、身ぶり手ぶりで細かな動作を確認する浅田さんの姿がリンクにあった。

「緩んでるものを締めるというか『もうちょっと切れ良く、止めるところは止める、抜く所は抜く、メリハリをしっかりつけよう』という話をしました」

22年9月の初演から20都市81公演を終え、残りは3都市となっていたが、座長の声かけに緩みはない。慣れが起こす、わずかなタイミングのずれ。個々人に優しく問いかけ、改善に余念がない。それはソロで踊る曲でも。1つの腕の下げる位置を何回も確認していた。

「選手の時に9割がジャンプだったのが、今は逆に9割が魅せる方に考え方も変わっています。技術もレベルアップしていくのは当たり前のことですが、お客さまに楽しんでもらわないといけない。どうしたら楽しんでいただけるかを第一に考えて練習しています」

所作1つも追求のたまものになっている。多い時には1日2公演で20曲を滑る。自宅でも基礎トレーニングは欠かさない。ただ、肉体的には常に負担がある中でも「当たり前」という技術面で、大きな決意が生まれていた。トリプルアクセルだ。インスタグラムで挑戦を明かしていた。理由を聞くと、一気に顔が晴れた。

「そうですね(笑い)。自分にチャレンジしたいなと思って。体がすごく良い状態だったので、いけそうだなって思ってやってみたら、思いのほか良い感じで。『いけるんじゃないかな』って。現役時代の最後の試合で、私、跳べなかったんです。なので、スケート人生でもう1回ちゃんと跳んでおきたいなと。それで、やり始めました。挑戦を楽しみたいですね。アスリート魂! そんな感じです」

16年の全日本選手権では、2本とも失敗に終わった。ショーに組みこむ予定はなく、あくまでも私的な雪辱戦の意味が濃い。2回転半から1回転増やしただけで体へのダメージは大きく、筋肉の張りがショーに影響するのは避けるよう注意を払う。ただ…。

「もう1つ、すごく思うこともあって。インスタで私が流すことで、現役の子たちが『32歳の人でも跳べるなら、じゃあ私も跳べるじゃん』と思ってくれればうれしい。そのマインドはすごく必要だと思うので」

世界的に見ても女子の30歳を超えたスケーターで3回転半を跳べる選手は皆無と言っていいだろう。大技は低年齢こそ成功の可能性が高まる、そんな通説にも挑戦している。

「BEYONDを通じてでも、トリプルアクセルを通じてでも、私がやっていることが少しでも今頑張っている選手たちの力になればうれしいです。そんな風に私も前に進んでいきたいなと思います」

前、という意味では、4月に大きな決断を公にした。個人名が付いた新リンクの設立。50代になった自分が「MAO RINK」にいる姿も思い描く。

「人生でも最も大きな決断かもしれないですね。でも、当たって砕けるだけです(笑い)。1回しかない人生なので、挑戦するか迷ってる時間もありません。今までもそうでしたが、自分の人生だから、周りが何て言おうと挑戦してきたし、失敗しても成功しても、自分の人生なので、私は後悔はしないと思います」

さらっと言う。思えば、その頑固な一面、決めたら譲らない本性をようやく感じられるようになったのは、ソチ五輪(オリンピック)の前後だった。できるまで続ける練習や、決めたことから逃げない強さ。柔らかな応対に隠された芯のずぶとさ。それが浅田真央の強さの源にあった。

「あ! でも今回のリンクは1人じゃないです。たくさんの方と一緒にプロジェクトを進めています。だからそこは覚悟を持って、選手の時以上に重みはありますけど、1度しかない人生、こんなに大きな挑戦ができるのは本当に幸せなことです」

やはり、強い。全国的に通年リンクが減少傾向にあり、見るスポーツとしての認知度の大きさに比べ、競技人口は増えていない。その意味でも、都内にメイン、サブの2つのリンクを備えた場を新設する価値は大きい。全国ツアーを行うからこそ、痛感したことも多い。

「全国的に見ても、スケートリンクの環境は良いとは言えません。老朽化の問題もありますよね。1つでもリンクが増えて、それがスケート界の盛り上げにつながればと思います」

建設が具体化したことで、定まった気持ちもあった。指導者としての道だ。

「先のことは今までは、ふわっとしていただけで。どこか頭の片隅に、いつか教えられたらいいな、ぐらいに考えていたんですけど。いよいよ、明確な目標となったという感じですね」

選手時代にお世話になった恩師たち。それぞれが、理想の指導者像のピースを与えてくれた。

「どの先生も愛がありました。でも、やっぱり一番思いが強いのは山田満知子先生かな。私だけではなく、家族を愛してくれた。私よりも母がお世話になったという思い出があります」

大きな包容力、そんな姿を目指す。世界的なスケーターの輩出も期すが、ただ、自身の歩みを振り返りながら、包み隠さずに教えてもくれた。

「五輪は最高の舞台でもあるけど、同時にすごく残酷な舞台でもあるとは思います。だから、もし自分の子供ができたら、うん、やらなくてもいいんじゃないかな…とは思うと思います」

決して、否定しているわけではない。

「過去があったから今がある、さまざまなことを乗り越えたからこそ今がある、のは間違いありません。大変だけど、乗り越えた先に楽しいことが待っているのは事実です。ただ、終わってみた結果ですが、五輪が全てじゃないと思っています」

毅然(きぜん)と、やり抜いたからこその思いを語る。なぜなら、いま、五輪が中心のスケートではなく、スケートそのものの楽しさを感じているから。

「10代で辞めなくて良かったなって思うんです。続けていく中で、スケートに悩まされたりとか、嫌になることもあったりしたんですが、やっぱり続けていると、本当にたくさんの幸せをもらうこともできました。年齢を重ねるごとに、大変でしたけど!(笑い)」

その言い回しの明るさに包まれてしまうが、誰よりも辛い経験も越えてきた、からこそ語れる言葉だ。その人生を持って、子どもたちに向き合っていく。

リンクにはショー用に1000席ほどの客席も設ける。そこで、演じる未来像はある。次々に湧き出るショーのアイデアと、常に進化する姿を見せていく限界をてんびんにかけながら、今を大切に、見てくれる人のために最善を尽くす。

「今もこうして、ショーをつくり滑ることができるのは、やっぱり今でも私を応援してくださる皆さんのおかげなので。もう、その出会いがあるから今があります。頑張りますよ!」

1つの区切りとなる千秋楽が始まるまで、あと3週間-。

◆MAO RINK 浅田さんが総合プロデュースする通年スケートリンク。総工費は数十億円で立飛ホールディングスが共同事業者となり、土地の提供、建物の建築を進める。多摩モノレール立飛駅から徒歩3分で24年秋の開場を予定。2階建てでレストランやジム、スタジオの他、自身の記念品を展示するギャラリー、ショップなども併設。スクール、アカデミーも設け、自身も指導に携わる。

◆BEYOND 浅田さんが座長のアイスショー。「覚悟と進化」をテーマに22年9月から全国ツアー。競技者時代に滑った「シェヘラザード」「白鳥の湖」をペア演技で挑戦し、滑りを映像とも融合させて、総勢11人のスケーターで世界観を作り上げる。愛知公演(6月10、11日)宮城公演(6月24、25日)千秋楽の東京公演(7月1~17日)を残す。千秋楽公演(アリーナ立川立飛)のチケット一般発売は今日10日から。