【バレー】定年退職する東京学館新潟・石山総監督「最後まで現場でした」41年の指導を振り返る

41年の指導を振り返る石山総監督

東京学館新潟高・男子バレーボール部の石山雅一総監督(65)が3月いっぱいで同校教員を定年退職し、指導の場から退く。

83年の創部から監督、19年からは総監督を務め、指導歴は同校一筋で41年。監督として春高バレー、全国高校総体ともに12度出場して、07年春高では県勢最高成績のベスト4に導いた。チームの足跡と自身の指導ぶりを振り返った。

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-最後のベンチ入りとなった県1、2年生大会(29日決勝)で3年連続14度目の優勝

石山 良かったです。興奮しました。年始の春高は(16強でとどまり)負けて悔しかったんです。選手にもっとしてやれたことがあったのではと思っていて。総監督になってからは少し距離を置いてチームを見ていましたが、結局、最後まで現場でした。

-春高で07年ベスト4は県勢最高、00年全国高校総体ベスト8は最高タイ

石山 選手のおかげです。そこにつながったのは積み重ねがあるから。中越、新潟明訓、高田工(現上越総合技術)、巻…。伝統校になかなか勝てない。「オレじゃだめなのかな」と悩みました。

-勝てるようになったきっかけは

石山 全国高校総体に初出場(97年)する前から、全国大会常連校が主催する合同練習試合に参加させてもらいました。足利工大付(栃木)、雄物川(秋田)など。いい選手を集めているから勝てるのかと思っていたら、違った。素質のある選手が猛練習する。レシーブで飛びまくる。「ここまではやっていなかった。勝てないわけだ」と。練習量は多くなりましたね。

-全国大会に出るようになってからの変化は

石山 私よりも選手の意識が変わってきました。高校総体でベスト8に入った00年、練習試合を組んでも「もっと強いところとやりたい」と言うようになった。それだけ意識が高くなっていた。自分たちの試合を分解して、できなかったことをあぶり出し、(練習)メニューを提供した。できないことができるようになると選手も喜びます。

-常に行っていたのは

石山 日記ですね。この話が良かったから、今度、選手にしてみようとか書き留めて。創部から始めてファイルで7、8冊くらいあります。全国大会では早めに会場に行って強豪校の練習をメモしたりしました。

-影響を受けた指導者は

石山 母校の巻高の監督だった柬理(かんり)猛先生(故人)。どうすれば勝てるかを考え続けていた。厳しかったけど、生徒1人1人とも向き合ってくれていました。指導の原点でもあります。本当に感謝しています。

-今後は

石山 声をかけていただいたら、どこでもふらりと指導に行くかもしれませんが、自分から何かをすることはないです。ただ、試合は隠れながら見ているかもしれませんね(笑い)。【聞き手・斎藤慎一郎】

 

◆石山雅一(いしやま・まさかず)1958年(昭33)10月4日生まれ、新潟市(旧巻町)出身。巻高でバレーボールを始め、東海大に進学。国語の教員として82年に北越商(現北越高)に赴任し、83年に創立した東京学館新潟へ。同時に創部した男子バレーボール監督に就任。97年全国高校総体、98年春高に初出場。00年は全国高校総体で8強、07年の春高では4強入り。19年から総監督を務めた。