7月26日のパリオリンピック(五輪)開幕まで、6日で50日前となった。各競技で続々と代表内定選手が発表される中、注目を集めるのが団体球技だ。日本は全7競技で出場権を獲得。自国開催を除けば1932年ロサンゼルス五輪以来、92年ぶりの快挙となる。現時点で五輪切符を得た各球技の団体出場につながった背景をひもとく。
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92年ぶりの団体球技全出場の要因は何か-。各競技団体(NF)の施策は異なるが、8年前にさかのぼると横断的な視点の存在が見えてくる。スポーツ庁が16年リオデジャネイロ五輪後に掲げた「競技力強化のための今後の支援方針」。当時の鈴木大地長官の名から「鈴木プラン」と呼ばれたこの指針が、夏季冬季五輪・パラリンピックに参加するNFへの呼びかけとなった。
継続的な国際競技力の向上を目指すなら、4年周期が主だったリオ以前の強化計画ではなく、さらに4年を加えた8年先の計画を練る必要がある。方針の冒頭に「中長期の強化戦略プランの実効化を支援するシステムの確立」を掲げ、日本オリンピック委員会(JOC)、日本パラリンピック委員会(JPC)、日本スポーツ振興センター(JSC)が連携する旨をうたった。
1つのきっかけは「東京以後」だった。JSCが管轄するハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)戦略部主幹の白井克佳氏は「目の前の大会に一過性に強化費を投下するだけではなく、強化戦略プランに基づいて地力を高める必要がありました」と説く。英国は、母国開催の12年ロンドン大会で獲得したメダル数を、4年後のリオ大会で上回った。この成功例を研究し、自国開催後に目を向けた。
NFとの連携の一例は「協働コンサルテーション」と呼ばれる。JSCが推進機能を担い、基本は1年に1回ごとに会議を設け、PDCAを回す。国際競技力向上の指標とする財政支援、タレント発掘と育成などの競技力向上に関する要因に基づき、「凹凸を考え、足りない部分を埋めていきます」。
8年目を迎えた方針から、今回の団体球技の快挙の理由を探ると、「ジャパンズ・ウェー」という言葉が浮かび上がる。サッカーが先駆の日本独自の長所を生かした戦術。白井氏は「スター選手が出ればメダルが近づく個人競技とは違い、団体球技は1人では難しい。各NFがスタイルを模索し、合った発掘、育成システムを構築してきた結果もあるのではないか」と分析する。
パリでは各団体球技でメダル圏内外は分かれるが、8年前にまき始めた種は芽を出し、伸び始めていると言えそうだ。花の都で、開花の時を待つ。【阿部健吾】
■バレー女子も切符獲り奮闘中
団体球技ではバレー女子の残り5枚の五輪切符争いが大詰めを迎える。ネーションズリーグ(VNL)予選ラウンド(R)終了時(17日)の世界ランキングで決定。ここまで6勝2敗の日本は現在、中国を抑えてアジア勢トップの6位。アジア&オセアニア最上位での獲得条件をクリアしており、この勢いで最終週福岡大会(11日開幕)に臨む。
◆1932年ロサンゼルス五輪 団体球技は水球、ホッケーの2競技が実施され、日本はともに男子が出場。水球は3戦全敗で、参加5カ国中4位(ブラジルが大会中の出場停止で最下位)。ホッケーはインド、米国と3カ国による総当たりで、日本団体競技初の表彰台となる銀メダルを獲得。アメリカンフットボールも行われたが公開競技だった。
日本選手団は馬術の大障害で「バロン・ニシ」と呼ばれた西竹一が金メダル。競泳が金5個。陸上男子100メートルで「暁の超特急」吉岡隆徳が決勝進出で6位入賞。世界恐慌の影響を受けた大会で、37の代表団から選手1332人(男子1206人、女子126人)が14競技177種目に参加した。