【静岡人魂】バレー富田将馬あの日を回顧「自分がいれば」パリ五輪イタリア戦2-0から逆転負け

富田将馬(2025年7月撮影)

バレーボール男子の世界選手権が、9月12日にフィリピン・マニラで開幕する。世界ランキング5位の日本代表は、1974年大会の銅メダル以来となる51年ぶりの表彰台を目指す。三島市出身のアウトサイドヒッター(OH)富田将馬(28=大阪B)は、初の大舞台で飛躍を期す1人。昨夏のパリ五輪代表漏れで味わった悔しさを糧に、五輪に次ぐ権威ある国際大会で輝きを放つ。

   ◇   ◇   ◇

富田は、決意のこもった口調であの日を回顧する。「『自分がいればパスは崩れることはなかった』と、悔しい思いだった。次は自分が立ちたいという気持ちでずっと見ていました」。最後の最後に選考漏れした昨夏のパリ五輪。交代選手として真夏の祭典に帯同した。準々決勝のイタリア戦。日本はセットカウント2-0で22年世界選手権覇者を追い込みながらも、そこから3セット連取を許して逆転負けを喫した。はじめは観客席で見守っていた富田だったが、いても立ってもいられず途中からコートサイドへ駆けつけた。同じOHの大塚と言葉を交わし、目に焼き付けた敗退の光景。「自分が入ってチームを勝たせたい思いが強くなった」と、覚悟を深めた。

再び巡ってきた代表シーズン。今季は、チームの軸を担ってきた石川や高橋藍らが不在だったネーションズリーグ(VNL)予選ラウンド(R)第1、2週では代理主将を務めた。所属でもキャプテンの経験はなかったが、「ここでアピールしなかったらロスの道も厳しくなる。引っ張っていけるようにしたい」と献身的なプレーで鼓舞。主力組が復帰した後も、中心としてコートに立つ姿があった。準々決勝で優勝したポーランドに屈してベスト8で姿を消したが「選手として、人として大きな経験になった」と成長を口にした。

武器としてきた守備面に加え、課題だった攻撃面でも存在感を示した。途中出場だったVNL予選R第3週のアルゼンチン戦は、最終第5セット序盤に連続で強打を決めて逆転勝ちに貢献。出場機会が増加したことで「派手なスパイクだけではなく、プッシュもブロックアウトも1点は1点」と引き出しも増えた。

来月12日には、約半世紀ぶりのメダル獲得を目指す世界選手権が開幕する。現在は国内合宿を行っており「スタメンを奪う勢いで食らいついていきたい」と目をぎらつかせる。そのためには、同じOHで、憧れてきた中大の2学年先輩の石川らを上回る必要がある。「1つずつ壁を乗り越えて4年後には祐希さんを超える選手に」。遅咲きと自称する28歳。28年ロサンゼルス五輪を見据え、進化を続けていく。【勝部晃多】

◆富田将馬(とみた・しょうま)1997年(平9)6月20日、三島市生まれ。小4時にママさんバレーをきっかけに競技を開始。沼津中-東山高(京都)-中大と進み、20年に東レ(現東レ静岡)へ正式入団。21-22年シーズンにレシーブ賞を受賞。20年に日本代表に初選出され、23年パリ五輪予選などに出場。24年にパナソニック(現大阪B)に移籍。身長190センチ、最高到達点342センチ。