【ラグビー】「ブライトンの奇跡」から19日で10年、エディーHC「もう1度ミラクルを」

インタビューに応じる日本代表のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ

ラグビー日本代表が起こした“スポーツ史上最大の番狂わせ”から、19日で10年を迎えた。

15年W杯イングランド大会初戦で、強豪南アフリカを大逆転で撃破し世界を驚かせた。「ブライトンの奇跡」とも呼ばれる金星に導いたエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC、65)は、昨季から日本に戻り、第2次政権の指揮を執る。日刊スポーツのインタビューに応じ、10年間の変化に持論を展開。10年後の飛躍へ、常識にとらわれない発想を説いた。【取材・構成=飯岡大暉、松本航】

日本の進む道は正しいのか。ジョーンズHCはズバリ、指摘した。「日本人選手を取り巻く環境が変わった。明らかに日本人のプレー機会が減った。これは事実だ」。10年前を知る指揮官は、強い口調で訴えた。

大きな転換点へ導いた。2015年9月19日。南アフリカを34-32で破った。ラストプレーの大逆転劇。W杯で2分けを含む18戦未勝利だったチームが、91年以来24年ぶりの白星を挙げた。それも、当時2度の世界一を誇った強敵から。10年がたち「あの勝利で日本は強豪国の一員となれた」と変化を認める。ただ、描いていた方向とは違った。

逆転現象が起こっていた。「外国人と日本人の比率が全く逆になった」。15年W杯で外国出身選手は10人。23年W杯フランス大会では16人に増加した。22年発足のリーグワンでも傾向は同じ。外国人の実力者が多く来日しレベルは向上。一方で「日本代表にとって健全ではない」と苦言を呈す。「日本人のプレータイムが約60%下がり、プレッシャーがかかっている」と出場機会の減少を指摘した。

95年に東海大ラグビー部を手伝うため初来日。「以前は日本社会の98%が日本人だった」と振り返る。30年が経過し環境は激変。自身の住まいの近くに外国人が多く歩いていた。法務省によれば95年の在留外国人数は約136万人。24年には約377万人まで増加し、約3倍にも及んだ。30年の変化を肌で感じ驚いた。

契約形態の変化も大きい。かつて「日本人は社員が多かった。ラグビー愛でラグビーを続け、安定した収入を確保し、引退後にも仕事があった。10年前はもっと自由度が高かった」と振り返る。現在は完全プロ契約の選手も増えた。「愛だけではなく、彼らの仕事になった。仕事で活躍する時間が少ないこと自体が、プレッシャーになっている」と、現状に警鐘を鳴らす。

15年10月13日。W杯からの帰国会見で訴えていた。「しっかりしたプランがなければ強い代表はできない。日本で遂行するのは難しい。変化を嫌う人もいるから」。以降はイングランド、オーストラリアでHCを務め、若手の成長の重要性を再確認。復帰した日本で、学生年代に恐れず切り込んだ。「大学ラグビーの取り巻く環境は変わらないし、誰も変えようしない。学生にこのような経験を与えることが大事」と示した。

前例を覆した。「私の任務は日本人選手を励まし、思い切りプレーできる環境を作ること」と自覚する。第1弾として昨季から育成プロジェクト「ジャパン・タレント・スコッド・プログラム(JTS)」を実施。大学生を中心とした将来の代表候補を自ら指導し、体作りや栄養面のサポートも受けさせた。若手育成に代表監督が直接着手する、新たな一手を打った。

第2次政権2季目では、フッカー原田衛(26)を共同主将に任命し、WTB石田吉平(25)を5戦連続で先発させ、新戦力を登用する。「若い世代は非常に能力が高い選手が多い。日本ラグビーを変えてくれる。この先10年も、日本代表に若い選手が入り、外国人の中でも、ポジション争いが激化するチームを目指す」と方向性を明かした。

27年にはW杯オーストラリア大会が迫る。8強を目指す舞台へ「日本のラグビーを書き換えることができる。もう1度ブライトンミラクルができると思う」。日本ラグビーに新たな1ページを刻む。

○…エディーHC自身は、時代の流れに沿う。「Z世代へ接し方を変えるのは必然」と90年代半ば以降生まれを指す年代への指導手法を変化させた。20代中盤で主軸を担う選手も増えたが「若い子の家庭での育てられ方は昔と違う。命令形で言われると良い反応を示さない。双方で問題解決し、一緒に乗り越えようとアプローチする」と明かした。

◆15年W杯の日本-南アフリカ戦VTR 29-32の3点差で迎えた後半の試合終了直前、敵陣深い位置でPKを得たが、主将リーチらが同点のPGではなくスクラムを選択。相手FWのイエローカード(一時退出)による数的優位もあり、最後は途中出場のマフィからパスを受けたWTBヘスケスが左隅に飛び込むトライを奪い、34-32と逆転。ラグビーの枠を飛び越え、スポーツ史上最大の番狂わせと呼ばれた。