フィギュアスケートのペアで愛称「りくりゅう」こと三浦璃来(24)木原龍一(33)組(木下グループ)が17日、互いのSNSを更新し、今季限りでの現役引退を電撃発表した。2月のミラノ・コルティナ五輪で日本ペア初の金メダルを獲得。世界選手権でも2度の優勝を収め、日本フィギュア史を塗り替えた2人が連名で「やり切った気持ちでいっぱい」と表明した。3月の世界選手権は欠場しており、ミラノが最後の演技となった。早ければ今月下旬に会見を開く予定。今後もペア関係を続け、種目普及と将来的な指導者転身を視野に、新たな道へ進む。
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りくりゅうが現役引退を発表した。SNSに連名で「今シーズンをもちまして現役を引退することを決断しました」。日本ペア初の五輪金メダルから2カ月。「やり切ったという気持ちでいっぱいで、悔いはありません。これまでのすべてが誇りであり、大切な財産です」。そろって勝負の銀盤から離れる決断をした。
早朝に発表し、午後から東京・赤坂御苑で天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会に出席。この日の発表理由について木原は「陛下に今の気持ちを正直にお話ししたい」と説いた。2人は日本スケート連盟の特別強化選手に指定されており、例年4月下旬に来季の強化選手が公表される。その発表を前に、進退を明言した。
運命の出会いだった。19年7月。木原は14年ソチから五輪2大会に出場もフリーに進めず「やめた方がいい」と諦めかけていた。前パートナーとの関係を解消し、名古屋市内のリンクでアルバイトする日々。そんな中、9歳下の三浦に誘われて氷に乗った。初めて氷に乗り、三浦を頭上に投げる技「ツイストリフト」を試すと、これまでにない高さ。「雷が落ちた」。衝撃が走って結成決断。カナダ・オークビルへ渡り、りくりゅう物語が幕を開けた。
予感は当たった。22年北京五輪は7位。五輪では日本ペア6組目にして初入賞を収め、歴史を変えた。22-23年はGPファイナル、4大陸選手権、世界選手権で優勝。同一シーズンの国際連盟主要大会3冠は男女を含めても日本初だった。
真価はミラノ五輪で発揮された。ショートプログラム(SP)はリフトでミスして5位にとどまったが、フリーでは世界歴代最高得点。現行の採点制度となった06年トリノ五輪以降で最大の6・90点差を大逆転して、金メダルをつかんだ。
一方で体は悲鳴を上げていた。三浦は22年7月以降に左肩をたびたび脱臼し、23年10月には木原が腰椎分離症を発症。北京五輪の後に木原は「4年後も、8年後も目指す」と誓っていたが、満身創痍(そうい)で駆け抜け、金で完全燃焼した。かねて三浦も「木原選手が引退する時は私も引退」と口にし、木原も「僕のベストパートナーは璃来ちゃんしかいない」と発言。強固な信頼感で7年間を伴走し、そろって決断した。
今後は5月1、2日に兵庫・尼崎市で開かれる所属主催のアイスショー「ブルーム・オン・アイス」に出演。園遊会で天皇陛下から尋ねられた今後の拠点は「まだ分からない」とし、活動の詳細は会見で明かす見通しだ。指導者転身を視野に歩み続けていく。「これからもペアを、日本の皆さまにもっと知っていただけるよう、新しいことに2人で挑戦していきます」。りくりゅうの物語には、まだ続きがある。【藤塚大輔】
◆三浦璃来(みうら・りく)2001年(平13)12月17日、兵庫・宝塚市生まれ。5歳で競技を始め、中学2年時の15年にシングルからペアへ転向。世界ジュニア選手権にも出場した。趣味はアニメ鑑賞。大阪・向陽台高から中京大。146センチ。
◆木原龍一(きはら・りゅういち)1992年(平4)8月22日、愛知・東海市生まれ。4歳で競技を始め、シングルから20歳でペア転向。高橋成美と14年ソチ五輪で18位、須崎海羽と18年平昌五輪で21位でフリーに進めず。五輪はミラノが4度目の出場だった。趣味は野球。中京大中京高ではJ1横浜の宮市亮らと同級生。中京大。174センチ。
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