女子高生から届いたDM…バセドウ病の経験を伝える星奈津美さん 5月25日は世界甲状腺デー

リオデジャネイロ五輪 競泳女子200メートルバタフライ表彰式 星奈津美さん(16年8月撮影)

今日5月25日は「世界甲状腺デー」。甲状腺疾患や治療法の認知拡大のため、国際的に定められている。

競泳女子元日本代表の星奈津美さん(35)は、16歳だった06年に甲状腺疾患の1つでもあるバセドウ病を発症。24歳だった14年には全摘出手術を経験した。苦難を乗り越えながら競技を続け、12年ロンドン、16年リオデジャネイロの両五輪でともに銅メダルを獲得。現役を退いた今は、病気の理解を深めるための活動を続けている。このほどオンラインでインタビューに応じ、理解促進への思いを語った。【取材・構成=藤塚大輔】

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■女子高生から届いたDM

それは昨年のことだった。星さんのインスタグラム宛に、心当たりのない人からダイレクトメッセージ(DM)が届いた。送り主は女子高生。こんな旨が書かれていた。

「星さんの講演で聞いた症状が、自分にも当てはまる気がして。病院へ行ったら『バセドウ病』だったと診断されました」

約1カ月前。星さんは修学旅行生向けに講演を開いた。そこで伝えたのが、16歳で発症したバセドウ病のこと。近年は「知ってもらう機会になれば」と、意識的に話すようにしてきた。ダイレクトメッセージを送ってくれた女の子は、講演を聞いていた1人だったのだ。

当初は違う病気を疑っていたが、星さんの話を耳にしたことがきっかけで早期発見ができたという。メッセージではこうも伝えられた。

「救われました。命の恩人です」

同じ境遇を経験した1人として、病を患ったこと自体には複雑な思いを抱いた。ただ同時に「伝えて良かった」とも感じた。

「こうやって早く気付くことができるように、という思いだったので、そこにつながったことに関しては、やって良かったなと感じました」

かつての自分も、人に支えられながら病と向き合ってきた。2つの印象深い出来事がある。

■16歳で発症…忘れられないコーチの言葉

バセドウ病を発症したのは、埼玉・春日部共栄高1年の冬。その夏に200メートルバタフライで全国高校総体を制してから、半年も経っていない時だった。

練習だけでなく、日常生活でも異変を感じていた。「電車で学校へ通う時、駅のホームの階段で心臓がバクバクしたり、4階の教室まで上がる階段で疲れてしまって、手すりにつかまって休むことがあって。ただ歩いて上がっていくだけなのに、駆け上がったくらいの息の上がり方をしていました」と振り返る。

母・真奈美さんに相談すると、すぐに専門医へ連れて行かれた。採血をして、甲状腺のエコーをとると、その日のうちにバセドウ病と診断された。のどの下の甲状腺から分泌されるホルモンバランスが崩れたり、しこりができたりする病気。母は30代で甲状腺疾患の1つである橋本病を患っていたため、すぐに専門機関で受診するべきだと判断したのだという。

幸いなことに命に別状はなかったが、日常的な投薬と定期健診が必要となった。競技からも一時的に離れることを余儀なくされた。発症から1カ月は治療に努め「1カ月も水に入らなかったのは物心が付いてから初めてでした」と安静にする日々が続いた。

そんな折、当時指導を受けていた豊田康宏コーチから連絡が届いた。「明日はプールに来ないか?」。戸惑った。プールへ行っても運動はできない。プールサイドで練習を見学するのも、あまり気が乗らなかった。

「はじめはあえて練習を見るように、ということなのかなと思いました。泳ぎたくても泳げない状況だったので、仲間たちが泳いでいる姿を見るのは複雑だなと感じました」

ただ、豊田コーチの思惑は違った。言葉はこう続いた。「水着も持ってこいよ。水中で歩くことならできるんじゃないか?」。提案されたのは、水中ウォーキングだった。

翌日。1カ月ぶりに水中へ入った。一般利用者に交ざって、プールの端のコースをゆっくり歩いた。時間にして10分足らずだったが「本当に久しぶりで、新鮮な気持ちでした。水に入れただけでうれしかったです」と喜びがあふれた。

同時に気付いたことがあった。病気を患ったからといって、何もかもを制御する必要はないのだと学んだ。

「コーチも病気のことを全く知らなかったらしいんですが、本などを読んで勉強していただいたようでした。体に負担がかかる運動をしてはいけないだけであって、プールに入ってはいけないわけではない。水中ウォーキングでゆっくり歩くだけなら、心拍数も上がらない。コーチがアドバイスをしてくれなかったら『運動してはいけない=プールに入ってはいけない』と思い込んだままだったと思います。そうすると、もっとブランクは長かったかもしれません。今できることも工夫次第では見つかる。そう教わったことは本当に大きかったです」

発症から3カ月後に本格的な練習を再開。水中ウォーキングの効果もあり、順調に復帰の道をたどり、高校2年の全国高校総体も制してみせた。豊田コーチの言葉は、大きなきっかけとなった。

■24歳で全摘出手術…背中を押された出来事

その後は投薬治療もうまくいき、08年北京五輪出場を経て、12年ロンドン五輪で銅メダルを獲得。第一線でキャリアを歩んだ。

ただ、14年に道が暗転しかけた。9月に中国で開かれたアジア大会。200メートルバタフライに臨むと、これまで経験したことがないほどの倦怠(けんたい)感を味わった。

「200メートルのバタフライを泳いだ回数は数えきれませんが、今までで一番しんどいレースでした。ラスト25メートルくらいは、立ってしまうと思うほど。経験がないくらいでした。何とか泳ぎ切ったんですけど、プールから上がるのもやっと。力も入らなくて、何とかプールから上がりました」

帰国後に病院で検査を受けると、甲状腺ホルモンの数値が上がっていた。医師によれば、普通に座っているだけでも、小走りをしているのと同程度の負荷がかかっている状態だという。「よくこれでレースに出ていましたね」と驚かれた。集大成と位置づけていたリオ五輪までは1年半あまり。投薬治療だけでは間に合わないと踏み、甲状腺の全摘出手術を選択。首元にメスを入れる手術をした。

水中での練習再開は、手術から1カ月近くがたったころ。はじめはシュノーケルをつけて泳ぎ始めた。医師からはシュノーケルを付けなくても問題ないと言われていたが、息継ぎによって首元の傷口が広がる不安があった。

それが2週間ほど続いた頃だった。平井伯昌コーチから「シュノーケルをとって、普通にバタフライをしてみたらどうだ」と伝えられた。知らずしらずのうちに、逃げ腰になっていたことに気付かされた。

「私もみんなと一緒に追い込みたいと思っていた一方で、ちょっと守りに入っていた面がありました。まだ怖いな、と。首を動かすことで傷が広がることはなくて、お医者さんからも『大丈夫』と言われていたんですけど、ずっと怖さがありました。でも平井コーチから背中を押していただいて、その日のメイン練習からはみんなと同じようにシュノーケルを外して泳ぎ切ることができました」

確かに自分の身を守ることは大切だ。どこかでブレーキをかけないと、悪化する恐れもある。

ただ、1歩を踏み出さなければ、前へは進めない。そう教わった気がした。

「きっと自分1人では、できなかっただろうなって。シュノーケルを外したのは、自分の中では殻を破れた瞬間だと思っています。そこから何も心配をせず、思い切って、みんなと同じようにこなしていけました」

バセドウ病を発症した16歳の頃と同じように、周囲の人が1歩目のきっかけを作ってくれた。

だからこそ、リオ五輪で2大会連続の銅メダルをつかんだ時、4年前と同じ色のメダルでも全く異なる感情があふれた。

「『メダルを取った瞬間にどんな顔が思い浮かんだか?』と聞かれますが、私は両親、平井コーチ、主治医の先生、病院の先生も浮かびました。手術を担当してくれた先生もずっと応援してくれていて。そういう方々にも届けられたメダルだったので、本当に良かったと思います」

■当事者としての願い「まずは地道に」

今、星さんのもとには、バセドウ病に関する連絡が届く。病気の当事者だけでなく、罹患(りかん)者の家族というケースもある。甲状腺疾患の罹患者は国内で約500~700万人いるが、実際に治療を受けているのは約90万人。症状までは深く知られていない現状もある。

「罹患者が多い一方で、認知度が低いので、なかなか検査にいかないというケースが多い。今はそれを変えたいと思っています」

かつてはたくさんの人に支えられてきた。そのおかげで1歩を踏み出すこともできた。だから今は、バセドウ病の当事者として、誰かの力になれればと思っている。

講演を聞いた女子高生から届いたメッセージは、その1つだった。

「母やコーチは一緒になって落ち込むのではなくて、何ができるのかを考えてくれました。『やってみよう』と声をかけてくれたのはありがたかったです。やってみて難しければ、止めればいいので。周りの方のおかげで前に進めたところも大きかった気がします」

甲状腺疾患の啓発シンボルマークは、「バタフライリボン」と呼ばれる。蝶が羽を広げた形が、甲状腺に似ていることが由来とされる。

奇しくも、星さんの種目はバタフライ。使命感が胸を占める。

「縁を感じずにはいられないです。そういう縁も含めて、病気のことについて理解を促したい思いがあります。まずは地道にやっていくしかないと思っています」

その輪が1人でも多くの人に広がることを願っている。

 

◆星奈津美(ほし・なつみ) 1990年(平2)8月21日、埼玉県越谷市出身。春日部共栄高-早大。専門種目は200メートルバタフライ。08年北京五輪10位。12年ロンドン五輪、16年リオ五輪はともに銅。15年世界選手権で日本女子初の金。16年10月に現役引退を表明。24年に第一子出産。血液型A。