「体操ニッポン」の黄金時代を支えた跳馬のスペシャリストで「ヤマシタ跳び」を考案した1964年東京五輪金メダリストの松田治広(まつだ・はるひろ、旧姓山下=やました)さんが19日、死去した。87歳。愛媛県出身。葬儀・告別式は故人と遺族の意向により近親者のみで執り行う。
愛媛・宇和島東高から日本体育大(日体大)へ。日体大助手時代の62年世界選手権で屈身前転跳びのヤマシタ跳びを発表して世界に衝撃を与えた。東京五輪で団体総合優勝に貢献し、種目別跳馬の1回目を「ジャックナイフ」と呼ばれた切れ味の良さで成功させ、さらにひねりを加えたウルトラCの「新ヤマシタ跳び」を決めて圧勝した。2年後の世界選手権も2種目を制した。
現役引退後は指導者になり、日体大で教授などを歴任した。日本体操協会では専務理事をはじめ要職を務め、女子代表の強化にも携わった。2000年に国際体操殿堂入りした。