日本人初のNFLプレーヤー誕生は、お預けとなった。アメリカンフットボールの米プロNFL入りを目指し、ラスベガス・レイダースと4月にドラフト外の新人契約を結んでいたキッカー松澤寛政(27)の開幕メンバー入りは、かなわなかった。
チームは今季のレギュラーシーズン(9月13日初戦)に向けて、米東部時間の30日午後6時(日本時間31日午前7時)に設定された締め切りまでに、現在は約90人いる選手を53人に絞り込むことになっていた。その開幕ロースター(登録選手)リストの中に、松澤の名はなかった。
千葉県出身で、サッカーから転向して大学からアメフトを始めた異色の経歴を持つ。6月下旬まで行われたOTA(オフ期のチーム合同練習)や夏季キャンプを経て、ふるいにかけられるプレシーズンゲーム期に突入。その3試合で結果を出せなかった。
8月13日(同14日)のカージナルス戦でさっそく出場し、第3クオーター(Q)に38ヤードのフィールドゴール(FG=3点)を狙ったが、右ポストに当たる失敗となった。
20日(同21日)のテキサンズ戦も出場。第3Qに、タッチダウン(TD=6点)後のキック(PAT=1点)を決めて、プレシーズンながら“日本人初のNFL得点”を記録したが、その後のPAT2本を外す痛恨のミスを犯した。難易度的にも「あり得ない」と本人も語る失敗をした一方、キッカーの定位置「1枠」を争うベテランのマット・ゲイは52ヤードのFGを決めていた。
プロボウラー(オールスター)のゲイから学びながら、ここまでハイレベルな競争を繰り広げてきた。6月のミニキャンプでは60ヤードのFGを2本も成功させていたが、肝心のゲームで大きな差を見せつけられた。
結果、生き残りが懸かったラストチャンスの27日(日本時間28日)フォーティナイナーズ(49ers)戦で、出番なし。開幕ロースター入りは厳しい情勢となっていた。
松澤は6月5日、日刊スポーツなどの合同取材に応じ、夢の日々に目を輝かせていた。日本人初のNFL選手へ「結果として初になれたらうれしいけれど、今は自分のプロセスに集中」と強調。早朝5時半から練習施設に向かい、約2時間の練習や座学などを夕方の5時まで。「僕は蹴っているだけ」と笑わせつつ、毎日12時間ほど憧れの環境に入り浸っていることを明かしていた。
22年のスーパーボウルを制したゲイのそばで、質問攻めにしながら、年上のライバルから高く評価もされながら、正選手との距離感を測ってきた。その過程で背番号38は「自分の強みは正確性。(日本人初のNFL選手になれれば)非常に光栄だけど、驚くほどの基準の高さの中で自分もやっていかないと、この世界では残っていけない」と話していたが「強み」を初のプレシーズンでは発揮し切れなかった形だ。
しかしながら、練習生としてチームに同行する可能成は残っており、米4大プロスポーツで唯一不在となっている日本人NFL選手へ、夢は続く。【木下淳】
◆松澤寛政(まつざわ・かんせい)1999年(平11)1月8日生まれ、千葉県市川市出身。幕張総合高サッカー部では背番号3の主将FWとして夏の総体、冬の選手権ともに県ベスト8。大学受験で1浪も不合格となった後の19年、アメフト経験者の父に勧められて2週間、米国旅行。NFLのレイダース-ラムズ戦を観戦してアメフト挑戦を志した。21年、米オハイオ州ネルソンビルの公立2年制ホッキング大に留学。23年、ハワイ大に編入。25年の開幕戦でスタンフォード大を破る決勝FGを決めて勢いに乗り、全米2位のFG27本を成功させた。大学初のコンセンサス・オール・アメリカン(主要5選考のうち3受賞以上)入りも果たした。世界10カ国から13人が選出された26年のインターナショナル・プレーヤー・パスウェイ(IPP=国際選手育成)プログラムのメンバー。今年1月にはドラフト指名候補によるオールスター戦にも出場して注目された。