日本人初のNFLプレーヤーが、今季ついに誕生する可能性が残った。アメリカンフットボールの米プロNFLラスベガス・レイダースが8月31日(9月1日)に公式サイトを更新。4月にドラフト外の新人契約を結んでいたキッカー松澤寛政(27)と、今季の練習生(プラクティス・スクワッド)契約を結んだと発表した。昇格すれば、日本人未到の公式戦に出られる立場に生き残った。
各チーム53人という狭き門だった前日の開幕ロースター(登録選手)入りこそ果たせなかったが、各16人ずつの練習生リストに「Kansei Matsuzawa」の名が刻まれた。これで引き続きチームに同行して練習に参加でき、負傷者が出たり、正選手を上回る成長を評価されたりした場合に、昇格して試合に起用される可能性がある。
前日、夏季キャンプやプレシーズンゲームに参加していた約90人から53人に絞り込まれた際、漏れた松澤は、他チームに獲得の意思があるか問うウエーバーにかけられた。しかし24時間後の期限までに手を挙げるチームがないまま通過し、レイダースが確保。ドラフト外の新人契約から、保有枠が限られる練習生に“格上げ”された。
千葉県出身で、サッカーから転向して20歳でアメフトを始めた異色の経歴を持つ。米短大を経てハワイ大に編入。昨季、全米大学体育協会(NCAA)1部の上位カテゴリーで、開幕から25回連続フィールドゴール(FG=3点)成功のタイ記録を達成した。
「Tokyo Toe(東京のつま先)」の異名で注目された中、ドラフト指名はなかったが、レイダースと4月25日に新人契約。プレシーズンの7月20日(同21日)テキサンズ戦に出場し、タッチダウン後のボーナス攻撃(PAT)でキック(1点)を決めた。
“日本人初のNFL得点”を記録した一方、その後のPATはキック2本を外す痛恨のミス。前週の試合でもFGを外しており、最終のフォーティーナイナーズ(49ers)戦は出番がなかった。
キッカーの定位置「1枠」は、そのままベテランのマット・ゲイに。22年のスーパーボウルを制し、プロボウラー(オールスター)の名手から勝ち取ることはできなかったが、松澤もトレーニングでは60ヤードを超えるFGを決めるなど成長に疑いはない。練習生として残ったことがチームの高評価を物語る。シーズン中も、ゲイから学びながら競争を繰り広げていく。
松澤は6月5日、日刊スポーツなどの合同取材に応じ、日本人初のNFL選手へ「結果として初になれたら光栄だけど、今は自分のプロセスに集中したい。強みは正確性」と目を輝かせた。
オフ期のチーム合同練習では、早朝5時半から最高水準の施設に向かい、練習や座学などで毎日12時間。憧れの環境に入り浸っていることの充実感も語っていたが、練習生となれたことで、夢の生活は続く。
かつては、キッカーという「一芸」のポジションを10しかない練習生枠に使う例は少なかったが、コロナ禍を機に16枠へ拡大。チャンスは広がった。
松澤はNFLによる国際選手育成プログラムのメンバーにも選ばれており、その特別枠を活用して「17人目」になる道もあったが、正式な16人に食い込んだことも、今季中デビューの可能性を感じさせる。
各チーム毎試合2人、個人はシーズンに3回まで、練習生から試合メンバーにエレベーション(昇格)できる制度で、夢をつかむ。
レイダースの開幕戦は9月13日で、本拠にドルフィンズを迎え撃つ。「日本人には無理」と断言され続けた通り、いまだ米4大プロスポーツで唯一不在のNFLプレーヤーへ。松澤の挑戦が始まった。【木下淳】
◆松澤寛政(まつざわ・かんせい)1999年(平11)1月8日生まれ、千葉県市川市出身。幕張総合高サッカー部では背番号3の主将FWとして夏の総体、冬の選手権ともに県ベスト8。大学受験で1浪も不合格となった後の19年、アメフト経験者の父に勧められて2週間、米国旅行。NFLのレイダース-ラムズ戦を観戦してアメフト挑戦を志した。21年、米オハイオ州ネルソンビルの公立2年制ホッキング大に留学。23年、ハワイ大に編入。25年の開幕戦でスタンフォード大を破る決勝FGを決め、最終的に全米2位のFG27本を成功させた。大学初のコンセンサス・オール・アメリカン(主要5選考のうち3受賞以上)入り。世界10カ国から13人が選出された26年のインターナショナル・プレーヤー・パスウェイ(IPP=国際選手育成)プログラムのメンバー選出。ドラフト指名候補によるオールスター戦も出場した。188センチ、91キロ。