愛知・名古屋アジア大会のフェンシング女子エペ団体に、新社会人の有望株が初出場する。23歳の盧承延(の・すんよん)。今年、日本代表として世界選手権に初出場した剣士が25日、国籍変更という大きな決断を経て、自国開催の晴れ舞台を迎える。
総合国際大会デビューを控えた今月2日、東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)で公開された代表合宿で、盧は力強い突きを繰り返し、入念に狙うポイントやステップの運びを確かめた。
初出場した香港での世界選手権は、個人86位。1次リーグこそ突破してみせたが、本戦(64強)進出が懸かるトーナメントの2回戦で力尽きた。
「初めて世界選手権メンバーに選んでいただいて、普段よりすごく緊張してしまって…」と振り返りつつ「個人として満足のいく試合ができなくて、今回のアジア大会も団体戦のみの出場なんですけれども、いい流れをチームに持ってこられるように全力で頑張りたいと思います」と糧にし、続くアジア決戦への覚悟を決めた。
一般企業に就職して、剣を握り続ける。女子サーブルで日本フェンシング史上初のプロになった江村美咲(25=立飛ホールディングス)をはじめ、日本を代表する企業や組織に就職して競技に“専念”するフェンサーが多い中、盧は異色の道を選んだ。
明治大を卒業した今春、AIマーケティング事業などを多角的に展開するWebテクノロジー企業、株式会社Senjin Holdingsに入社した。
「将来、美容系のブランドを立ち上げたいと思っていて、その夢に向けて大学生の時からインターンでお世話になっていた会社なんです」
実地で学ぶうちに「このままここで働きたいな、成長したいな、と心から思える会社に出合えたので、最初は卒業を機に引退する予定だったんですけど、ここでやめたら絶対に後悔するなって、働かせていただきながら思って」と気持ちは揺れ動いた。
振り返れば、競技を始めたのは10歳の時だった。東京・江戸川区で生まれ、新宿区で育った。「身体を動かすことが、とにかく好きだった」という東京韓国学校初等部5年の時、友人と一緒に、母親がサマディフェンシングクラブに連れて行ってくれたことが始まりだった。
1年後。6年の時、いきなり日本一に輝く。2015年の全日本小学生選手権大会。長くフルーレが中心だった全国大会で、エペが採用された年の初代女王になって注目された。盧は、フルーレがメインだったが「種目関係なく、公式戦の実戦経験を積みたい」と、わずか3日間だけエペを練習して挑んだ全国大会で優勝する快挙だった。
中学では日本フェンシング研究会に移って鍛練を続け、フルーレで関東制覇。高校に進学して本格的にエペに転向した。王子総合に進んで1年時にインターハイで3位に入った。新型コロナ禍で中止になった2年の時は、代替大会のハイスクール・ジャパン・カップで準優勝。明大に進学すると、ここでも1年目から躍動する。インカレで個人3位に食い込むと、団体では創部以来初となる日本一に貢献した。
そして20歳の時、大きな決断を下した。
両親は韓国人で、同国籍だったが、成人のタイミングで日本国籍を取得した。
「ここ日本で生まれ育ったのですが、ずっと韓国人という気持ちで生きていたので、日本国籍を取得することに迷いはありました。しかし大好きな日本の、実際に生活している国の代表選手になりたいという夢があったので」
それまではナショナルチームに入れず、初招集されたのは大学2年の時。必然的に、国際経験は少なかった。競技は続けたが、一区切りも念頭に置いた大学4年の時、高倍率をくぐり抜けてセンジンホールディングスのインターン生になった。競技生活としては「最後」と思っていた昨年の全日本選手権で、人生が変わった。
ストイックに打ち込んでいた3年生までとは一変、ゴールが見えた最終学年で精神的な重圧から解き放たれると、一気に初の決勝まで勝ち進んだ。惜しくも寺山珠樹(24=長谷工コーポレーション)に敗れたものの、準優勝。寺山は、今回のアジア大会で日本勢16年ぶりの銅メダルを、前日22日に獲得した第一人者だ。そこに肉薄しての2位。会社の現地応援に銀メダルで応え、再びインターンに戻った頃から、湧き上がる感情を抑えられなくなった。
「ここでやめたら、絶対に後悔する」
熟考の末、会社に相談することにした。東大在学中に起業した新進気鋭の実業家、センジンホールディングス代表取締役社長の下山明彦氏(30)や上司、同僚の社員に思いを打ち明けると、同社初のアスリート支援ケースとして「両立」を後押ししてくれることになった。
今年4月、正式に入社し、日の丸と社名を背負う。平日は午前中に東京・北区のNTCで日本代表の練習に参加し、千代田区へ移動して午後1時から出社する。
「普段はフルで働いていて、練習が終わった後は午後9時まで8時間の勤務。メディア事業部という部署で、主に美容系の広告をAIで制作しています。同期たちは、もっともっと大変そうなんですけど、配慮していただいて、でも負けじと頑張りながら。本当にありがたい限りです」
年間の大半が海外遠征で知られる競技でもある。入社直後の翌5月には、コロンビア・カリで行われたグランプリ(GP)大会に出場した。「リモート可で1カ月180時間という勤務体系にしていただいています」。スポーツへの理解はありながら、甘やかされはしない。単純換算で1日9時間×20日間という業務と競技を掛け持ちする。
「国際大会の練習や試合の合間にホテルで仕事をしています。一方で、遠征費用は全て負担していただいていて、もう本当に感謝しかありません」
コロンビア遠征だけでなく、同じ5月にはフランスで行われたワールドカップ(W杯)にも参戦。7月も世界選手権で香港に飛んだが、支えてもらっている。
そして、自国では32年ぶり開催となるアジア大会。フェンシング競技は22日から始まり、愛知国際展示場で、五輪の9日間より短い6日間の日程で行われる。盧がピスト(競技コート)に立つ女子エペの団体戦は25日。寺山、吉村美穂(アイヴァン)岸本鈴(明治大)とともに、一戦必勝を期す。
ルーツのある韓国は、前回23年の杭州アジア大会(中国)で優勝したチーム。今大会の個人も、同国の世界女王ソン・セラが金メダルに輝いている。他にも列強がひしめく中、ホスト国の代表として挑む。
「自分の持ち味は力強さとフットワークの細かさ。団体メンバーに選んでいただけた理由は、積極的に仕掛けて『自分から自分から』という力強いプレーができるところだと思っています。私の特長を生かして、期待に応えられるように、自分らしさを意識して頑張ります」
日本は24年パリ五輪(オリンピック)で史上最多のメダル5個を獲得。このアジア大会も男子フルーレの飯村一輝(NTT)が06年ドーハ大会の太田雄貴以来20年ぶりに金メダルを獲得するなど、史上最強の称号を証明し続けている。
一方で、女子エペは五輪の出場権を得ること自体が至難なほど、まだ世界の壁は高い。それでも盧は「夢の(28年)ロサンゼルス五輪まで、あと2年。そう決めてフェンシングを続けているので、後悔のないよう力を出し尽くしたい」。足掛かりとなる初の総合国際大会。夢へ、突き、進む。【木下淳】
◆盧承延(の・すんよん)2003年(平15)7月8日生まれ、東京都江戸川区出身。8歳の時に新宿区へ転居し、天神小-新宿中-王子総合高-明大政経学部。エペが主種目だが、中学まではフルーレがメイン。現在は香港で指導する元日本代表コーチが、王子総合高でも教えていた縁で再びエペに挑戦した。「駆け引きが大事な種目で、どう仕掛けるか頭をとても使うところと用意したフェイントがはまった時が楽しい」と話す。家族は両親と姉。168センチ。