<テニス:木下グループ・ジャパン・オープン>◇6日◇最終日◇東京・有明テニスの森公園
現役最後の試合を終えた錦織圭(36=ユニクロ)の功績をたたえるセレモニーが6日、有明コロシアムで行われた。14年全米オープン準優勝、16年リオデジャネイロ五輪銅メダル。ツアー通算12勝を挙げ、世界ランキングは最高4位に達した。日本テニス界の歴史を塗り替えた教え子に、幼少期を指導した細木秀樹コーチ(51)が伝えたいのは「お疲れ」よりも「ありがとう」だった。
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島根・松江市のグリーンテニススクール。細木コーチが受け持つ、いちばん下の初心者クラスに5歳の錦織が入ってきた。指導歴34年目の今も、その衝撃が忘れられない。「え、テニス知ってた?」。打つ前の所作から違った。ボールに入る距離感、そこへ向かう体の運び方。初めてとは思えないほどなめらかな動きに「前世でテニスをしていて、記憶はなくても脳が覚えているのではないか」。そう思わずにはいられなかった。
これまでに、運動神経のいい子も、努力して上達した子も何人も見てきた。24、25年には2年連続で7人を全日本ジュニアに送り出した。それでも、あの日のような衝撃を受けたことはない。「圭みたいな子には、もう会えんな」。100年に1人の逸材と言われるが、本当にその数字が適切なのかとさえ思う。
日常生活では、ほかの子と何も変わらない少年だった。いたずらもした。それがコートに入ると、一気にスイッチが入る。「チャンピオンになる人は、ここまで自分を演じられるんだなと」。幼い頃から「世界ナンバーワンになる」と口にしていた。子どもの夢は言葉が先行しがちだが、錦織の言動には「確かにその場所を見ている」という実感があった。
13歳で松江を離れた後も、帰省すると以前と変わらない様子で顔を出した。「コーチ、今から空いてる?」。新しいラケットの感触を確かめたいからと、突然、練習相手を頼まれたこともある。「急に来るとびっくりするじゃん」。事前に段取りを決めるわけではないが、育ったコートを大切に思い続けてくれているのは伝わる。そんな日常の1コマが、強く印象に残っている。
錦織は、12年と14年にジャパン・オープンを制覇。14年には全米オープンで日本選手初の四大大会シングルス準優勝を果たし、翌15年には世界4位まで上り詰めた。
「あのメンバーの中で、トップ10に入り続けた何年間はホントにすごいよね」
技術だけではなく、人間的な成長を感じた出来事もある。22年、股関節の手術後に思いがけない連絡があった。帰郷する日と滞在期間を伝えた上で、その間に自分にできることがあれば、子どもたちのレッスンに参加したいという。以前までは周囲を気にするようなタイプではなかった。細木コーチは、無理をしてけがが悪化してはとんでもないと考え、「話してくれるだけでいい」と伝えた。だが、錦織は途中から「デモンストレーションをします」と切り出し、最後には「自分がヒッティングします」と自ら子どもたちと打ち合った。「けがや結婚を経験したからそう思ったのかは分からないけど、人間的に成長したなと思ったね」。あの少年が、今度は子供の練習相手を務める側になっていた。
引退後、もし指導に携わるなら、どんなコーチになるだろうか。細木コーチは「長嶋茂雄さんみたいだと思う」と想像する。熱く理屈を教え込むより、独特の感覚でヒントを与える。「この『シュッ』ってどういうことなんだろう」。教わる側が自分で考え、答えを探すような指導者になるのではないか。言葉を補う人がそばにいれば、さらに力を発揮できるとも考えている。
錦織の活躍を見てテニスを始め、強くなりたいと願う子どもたちが増えた。「生きる伝説。圭が活躍することで、普及も育成も強化も、全てにつながっていた」。指導者がどれだけ努力しても、状況を一変させたのはたった1人の活躍だった。試合で結果を出すことは、自分たちの努力よりはるかに大変な努力だったのだと思う。
「僕からしたら、お疲れではなく、ありがとうと言いたいですね」
お疲れ様より、ありがとう。初めて出会った日の驚きから、世界で戦う姿まで見届けた細木コーチが、教え子に贈る言葉だった。【勝部晃多】