レスリングの世界選手権(カザフスタン)が24日に開幕する。日本で五輪金メダルを量産した至学館大元監督で、昨年8月からモンゴル代表総監督を務める栄和人氏(66)がこのほど、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。愛知・名古屋アジア大会は男女4つの銅を獲得。過去には教え子への不適切指導が発覚して一度は表舞台から姿を消したが、28年ロサンゼルス五輪に向けて情熱を注ぐ。【取材・構成=泉光太郎】
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メダルを喜ぶ教え子たちと固い握手を交わした。栄氏が、モンゴル代表総監督に就任して1年。今秋のアジア大会は、世界選手権の行方を占う重要な大会だった。栄氏は男子フリースタイルと女子で、計6階級のセコンドについた。そのうち男子フリー86キロ級、女子53、62キロ級でそれぞれ銅を獲得。さらには元々フリーだった男子グレコローマンスタイル97キロ級のガンバータル・ガンフヤグも銅メダルマッチを制した。
メダル総数トップだった日本の15個には及ばなかったが、銅4個の健闘に「まだまだなところはあるけど、よく俺についてこられたな」と実感を込める。
昨年3月末、通算で20年余り務めた至学館大の監督を退任。5カ月後の8月からモンゴル代表総監督に就任した。きっかけは、同国レスリング協会会長の経歴もある大相撲の元横綱朝青龍ことドルゴルスレン・ダグワドルジ氏からのオファーだった。栄氏の退任を知った同氏から、28年ロス五輪に向けた強化、育成を打診された。優勝25回を誇る大横綱からの頼みだったが「今は無理だ」と一度、断った。
それでも、粘り強いラブコールは続いた。「モンゴルを強くするなら日本の栄しかいない。何が何でも栄を呼べ」。熱意をひしひしと感じて、心が動き始める。「そんなに俺に気があるなら1回見に行こう」。モンゴル協会の内部事情や指導環境、選手の視察のつもりで首都ウランバートルへ飛んだ。しかし、応接室で出てきたのはロス五輪までの総監督の業務に関する契約書。多数の協会幹部らに囲まれて逃げ場もなく「びっくりしちゃって、ついサインして契約しちゃった」。還暦を超えて始まった海外での指導。日本とモンゴルを往復しながらの生活には「大丈夫かな」と不安もあったが、ナショナルチームに携わると考えれば、血が騒いだ。
「吉田沙保里とかを相手に鍛えた時の練習をして、相手がついてきたら、俺もちゃんと引き受けよう」
再びモンゴルに渡ると、約2週間「栄スタイル」のトレーニングメニューを実施。ストップウォッチとホイッスルを持ち、直接指導した。選手とのコミュニケーションは通訳を介して行ったが「通訳の人はレスリングをやったことがなくて、半分以上通じなかった」と振り返る。日本の専門用語が伝わらず、通訳や選手は「何それ?」と首をかしげていたという。
「だからもう、俺も見よう見まねでやるしかなかった。まだ体は速く動けるし、選手たちもびっくりしていた。まだ体力はある」。
選手たちを巡回しながら、時には直接タックルをして体で覚えさせた。厳しいメニューに食らいつく姿に、次第に興味を持った。
「能力が高いんですよ。力もあるし、脚力もあるし、腕力もある。負けん気も強いし、集中力もある。だけど、それだけじゃ勝てない。6分間を戦う体力だけじゃダメ」。
モンゴルの練習時間は短かった。従来は1時間半程度だったが、栄氏が総監督になった後は少しずつ時間を延ばした。「レスリングは2時間半できないと体力がつかない」。自身が理想とする練習時間に変更した。「集中する時間が長くなれば、いろんな練習メニューに変えられる。それに順応してきた」と選手たちの成長に目を細める。
ただ、日本協会の強化本部長を務めていた18年には女子代表選手へのパワーハラスメント問題が発覚。一度は指導の現場から身を引いた過去もある。体罰や暴言は論外だが、昨今の指導者に対して、社会の見る目がより厳しくなったのは事実。19年の復帰後は指導に関して、とことんまで突き詰めず「目をつぶること」も意識している。
モンゴルでは日本と比べて、仕事と両立しながら競技を続ける代表選手が多いという。中には練習を途中で切り上げて仕事に向かう人もいる。「今はとにかく話し合って、『自分のやれる範囲でできることをしなさい』と伝えている」。一方通行の押しつけではなく、対話を心がけている。
24日開幕の世界選手権はモンゴルを経由してから現地入りする。栄氏にとってロス五輪は「苦い思い出」と言う。現役時代の83年、最終予選まで進みながら、84年ロス切符をつかめなかったからだ。44年ぶりの開催となる同じ舞台への挑戦は「指導者人生最後の仕事」と位置づける。
今後、24年パリ五輪で過去最多の金8個を含む11メダルを量産した日本が脅威となる。ただ、栄氏の「もう1回、選手たちにオリンピックでメダルを取らせてあげたい」という気持ちは変わらない。「また、あのパフォーマンスで目立ってみたいよね」。04年アテネ五輪、歓喜が降り注ぐマット上で吉田に肩車されてウィニングランをした記憶。どん底からはい上がり、いくつになっても挑戦し続ける姿もまた、栄和人の真骨頂である。
◆栄和人(さかえ・かずひと)1960年(昭35)6月19日、鹿児島県奄美市生まれ。鹿児島商工高で競技を開始。日体大1年まで116連勝を記録。88年ソウル五輪出場。90年から京樽で女子指導を開始。96年に愛知・中京女大付高(現至学館高)に赴任し、03年から中京女大(現至学館大)監督に。08年から日本協会女子強化委員長、14年から同協会強化本部長に就任。18年にパワハラ問題が勃発。同年に同協会強化本部長を辞任、至学館大監督は解任。19年に同大監督に復帰。昨年退任後、モンゴル代表総監督に就任。
◆世界選手権 24日から11日1日にカザフスタン・アスタナで行われ、階級は五輪で行われる男子フリーとグレコローマン、女子の各6階級、計18階級よりも多く、各10階級、計30階級で争われる。来年から始まる28年ロサンゼルス五輪の出場枠争いの前哨戦となる。日本勢は21年東京女子50キロ級金の須崎優衣や24年パリ銅で女子62キロ級の尾崎野乃香らが出場。パリ金で女子57キロ級の藤波朱理は欠場となった。