日本プロボウリング協会は7日、元プロボウラーの中山律子さんが死去したと発表した。84歳。ここ数年は病気で療養していた。
中山さんは1969年に女子プロ第1期生としてデビュー。70年にはテレ生中継で女子プロ初のパーフェクトゲームを達成し、71年には「さわやか律子さん」のテレビCMで全国的な人気を博すなど、日本に一大ボウリングブームを巻き起こした。
日刊スポーツではかつて「連載この道 500人の証言」と題して中山律子さんを特集していた。95年5月
24~28日に掲載した連載を再掲します。(年齢、肩書きは当時のまま。敬称略)
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中山律子の人気が茶の間で爆発したのは、1971年(昭46)6月から全国のテレビでオンエアされた、フェザー・シャンプーのCMからだった。「さ・わ・や・か・律子さん」を子供たちが口ずさみ、両手をパチンと前で合わせるしぐさをまねた。
証言396 CMディレクター、横田孝さん(58=アートパブリシティ)「中山さんにお会いする前は第一線の女性らしい精かんなイメージを持ってました。ところが実際にはおっとりしていて(笑い)、まるっきり違いました。彼女にとっては、あのポーズもオーバーアクション気味だったんです。その雰囲気が逆に親しみを持たれたのでしょう」。
証言397当時のトーナメント・プロデューサー井本正忠氏(68)「律っちゃんは優等生のようで、けっこう抜けているところがあるんだよ。始終忘れ物をしたし(笑い)。画面には出なかったが」。
証言プロ協会専務理事の大久保洪基氏(51)「プロ入り後半年くらいで髪を赤くしたが、それも必死で都会になじもうとしたからだった。鹿児島で育った彼女は、どうしてもなまりが取れず、周りの人から“あまり話さない方がいい”とまで言われて、本人もだいぶ気にしていました」。
群馬県草津で、7人兄弟の3番目として生まれた。父孝氏(故人)は農林省の公務員。4歳で鹿児島へ移った。
証言中山律子さん(52)「県立鹿児島女子高校ではバレーボール部で、2度国体に出場しましたが、背が低くて(162センチ)、いい選手とは言えませんでした」。
そのバレーボールの練習中に、転んで耳を強く打った。聴力が落ち、そのそばから話し掛けられても、気付かないことがある。事情を知らない者は「中山はツンとしている」と陰口をたたいた。
証言399日本ボウラーズ連盟白石雅俊理事長(63)「売れているときが一番寂しかったのかもしれないね」。
中山はいったん名古屋の旭精機にバレーボール部員として就職したが、部の解散で2年後にUターン。ボウリングに触れたのはこの時期、64年(昭39)前後だった。初めてのスコアは85。史上初のパーフェクトとの差215点を、6年間で埋めたことになる。1ゲーム400円。勤めていた結核予防協会の月給が1万2000円で、ボウリングに8000円を使った。
証言中山さん「プロ入りしても、所属先と月給制で初めは4万円。母たちを東京に呼んだので、そんなぜいたくはできなかったし、食事と服以外には、お金を使う暇がなかった。仕事続きで」。
CM契約金が年間500万円(当時推定)。競技のない週もテレビ2本、エキシビション4回。せかされるように稼いだが、金は中間でかなり消えた。中山が、「あなたの当時のエキシビションのギャラは60万円だった」と聞かされて「ウソッ」と絶句したのは、つい最近のことだ。それも時代の色合いだった。
【特別取材班】
◆ボウリング史ローマ時代のエジプトの子供の墓から、3本の大理石の棒と石でできたボールが発掘され、これがルーツ。中世に欧州で広がり、これが北米大陸に持ち込まれた。日本では1861年6月22日、長崎広馬場通りに「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開場した。戦後は1952年(昭27)12月20日、東京・北青山に手動式の「東京ボウリングセンター」が開場、戦後の高度成長期、53年(昭28)から63年(昭38)の約10年間に広がり、73年(昭48)には全国で3370センター、1万2300レーンに達した。その後乱立と石油ショックなどで衰退した。
現在プロは男子518人、女子206人。アマチュアは公称5000万人で、全国実業団ボウリング連盟、ジャパンレディースボウリングクラブ、日本ボウラーズ連盟、全日本ボウリング協会などがある。
◆中山律子(なかやま・りつこ)1942年(昭17)10月12日、群馬県草津生まれ。4歳の時、鹿児島へ。県立鹿児島女子高時代はバレーボール部。卒業後、会社員生活を経て、69年(昭44)の第1回女子プロボウリングテストに合格。70年(昭45)8月月例の女子プロ初の公認パーフェクトのほか、第1、5回全日本女子プロなど通算33勝(歴代4位)。70年代にはライバル須田開代子らと社会現象ともいえる大ブームを巻き起こした。04年日本プロボウリング協会会長。12年から同名誉会長。17年殿堂入り。
「さわやか律子さん」中山律子さん死去、84歳 日本にボウリングブーム巻き起こした立役者