日本プロボウリング協会は7日、元プロボウラーの中山律子さんが死去したと発表した。84歳。ここ数年は病気で療養していた。
中山さんは1969年に女子プロ第1期生としてデビュー。70年にはテレ生中継で女子プロ初のパーフェクトゲームを達成し、71年には「さわやか律子さん」のテレビCMで全国的な人気を博すなど、日本に一大ボウリングブームを巻き起こした。
日刊スポーツではかつて「連載この道 500人の証言」と題して中山律子さんを特集していた。95年5月
24~28日に掲載した連載を再掲します。(年齢、肩書きは当時のまま。敬称略)
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中山律子の魅力について、「花のトリオ」の一人、石井利枝さん(47)は言う。
証言石井さん「投げる時には女を感じさせない鋭い怖さを持っていた。けれど、投げ終わって振り向くと、女性の表情なんです」。
同じ1期生、実力派の海野房枝さん(56)は「下半身のバネと、エキゾチックな顔のアンバランスさが、逆に男性を引き付けたのでは」とも証言する。
アンバランスのセクシーさは、強さの原点でもあった。プロ協会の大久保専務理事は「中山の太モモはスポーツ的で、モデル的なきれいさとは正反対だった。しかしその下半身が、他を寄せ付けないパワーの源だった」と話す。
証言インテリの実力派2期生、長原京子さん(48)「アプローチにスピードとリズムがあった。私たちは歩く速度で投げたのに、彼女のパワーは格段に違った」。
ピンをはじく音の強烈さから、目を閉じていても中山のストライクは分かる、といわれた。女子プロ初の試合、1969年(昭44)7月の「第5回札幌オールスター」は須田開代子が勝った。9月の「女子プロ誕生記念大会」を中山が制し、翌年の全日本女子プロの初代女王に。71年(昭46)になると並木の時代に入るが、73年(昭48)にいったん「りつ子」と改名して再起、東京運動記者クラブ・ボウリング分科会の最優秀選手に選ばれた。
奇癖?も内部では評判だった。
証言海野さん「ボーッとしているというか、左のソックスがないというので、みなで大騒ぎして捜すと、右に2枚履いていたり(笑い)。今でも、試合中なのに、空いたレーンがあると練習を始めちゃう。でも憎めない人なんですよ。すべては、すごい集中力の裏返しなんですね」。
証言石井さん「引いたばかりのレーンの割り当てのくじを、すぐ忘れたり。帰りがけに賞金を忘れていくので私が拾っていくのもいつものことでした(笑い)。ところが試合になると集中していてまるで別人。相手が私ということさえ分からず、自分一人の世界に没入してました」。
ボウリング界の長嶋。現役のピークでは、こうした逸話自体がタブーだった。
証言プロ協会大久保専務理事「理論的な須田に対して、中山は動物的で、感覚的だった。突然対戦相手に“ねえ、負けてよ”などと言い出したり。ただ、めったに弱音は吐かなかった。プロ入り直後の札幌で、試合後にイチゴを買ってきてくれたんだが、精根尽きるまでやったのだろう、私のベッドでコロリ寝ちゃったんだ。いちずだった」。
67年(昭42)に男子1期生としてプロ入りした矢島純一氏(49)は、日本のボウリングの歴史を築いた最大の功労者の一人。プロ入り前の中山を指導したこともある。
証言矢島氏「プロになれるな、と一目で分かった。でも、ボールを落とすのが早すぎて、タオルを引いて何度も練習させたな。ランニングが苦手の様子で、泣きながら走っていたが、最後までついてきた。私を背負って階段の上り下りもした」。
野村美枝子らの美人派もいた。美人で3人目の300点を出した藤倉千鶴子もいた。藤原清子、高根良江、吉富昭子、岩松八重子、男子では岩上太郎、安武民祐、大橋明、片桐伸行。輝いた名前の中で、中山は独特だった。【特別取材班】
◆アポロ計画1969年(昭44)7月16日にアポロ11号が3人の宇宙飛行士を乗せて月へ向かった。61年(昭36)5月にケネディ米大統領が“人類を月に着陸させ無事地球に帰還させる”と宣言し、NASAが推進。人類初の地球外天体への探検旅行だった。アームストロングとオルドリン宇宙飛行士が月面“静かの海”に人類史上初めて第一歩をしるした。アームストロングは「この一歩は偉大な躍進だ」と感激を表した。
その後、17号まで12人が月面の科学研究と岩石採取のため月面に降り立った。20号まで計画されていたが、膨大な経費のため72年(昭47)で計画は打ち切られた。注目を浴びた短い期間は日本のボウリングブームとほぼ一致していた。
◆中山律子(なかやま・りつこ)1942年(昭17)10月12日、群馬県草津生まれ。4歳の時、鹿児島へ。県立鹿児島女子高時代はバレーボール部。卒業後、会社員生活を経て、69年(昭44)の第1回女子プロボウリングテストに合格。70年(昭45)8月月例の女子プロ初の公認パーフェクトのほか、第1、5回全日本女子プロなど通算33勝(歴代4位)。70年代にはライバル須田開代子らと社会現象ともいえる大ブームを巻き起こした。04年日本プロボウリング協会会長。12年から同名誉会長。17年殿堂入り。
「さわやか律子さん」中山律子さん死去、84歳 日本にボウリングブーム巻き起こした立役者>>