3人だから乗り切れた米生活/圭物語6

<成長3>

 米IMGアカデミーに錦織圭、喜多文明、富田玄輝の3人が留学して、2年がたとうとしていた。1日に7~8時間の練習と学校の繰り返し。トレーニングもきつく、英語にも慣れない。3人ともホームシックになった。

 喜多が年末年始に日本に帰った時のこと。友だちと会うと「彼女ができちゃって」とか高校生活を堪能していた。友だちがまぶしく見え「なんで俺は、米国なんかで吐きながら練習しなくちゃいけないんだ」と思ったという。「3人ともに一番嫌だったのは、ご飯が口に合わなかったこと」。

 05年の夏、喜多はIMGアカデミーの生活をあきらめ、帰国することを決意する。富田も喜多と同様に、2年で帰国することになる。それでも錦織は1人だけ残った。「圭は結構心(しん)があって、ホームシックでも本当に帰りたいとは思っていなかった」(喜多)。

 喜多が見た錦織は、1度物事を決めたらやり遂げる性格だった。ある時、コーチから練習で腕を鍛えるためにゴムのチューブを1本渡された。喜多は自ら飽きっぽいと言うように、2日ぐらいで「何も変わらない」とやめてしまった。だが錦織はずっと継続して続けていた。

 喜多がIMGアカデミーを去る日がやってきた。別れに涙はなかった。「じゃあ、またね、みたいな。感動の何とかみたいなのは、まったくなかった」。1人で残る錦織を、尊敬のまなざしで見た。「圭は帰りたい気持ちは10%ぐらいで、テニスで強くなるんだという気持ちが90%だった」。

 そこから錦織の孤独な戦いが始まった。ただ留学して2年で、錦織の中には生き抜くタフな心が身についていた。盛田正明テニス基金(MMTF)のコーチとして、錦織を推薦した丸山薫氏(49)は「喜多と富田がいたから、圭は乗り切れた。もし最初から1人で行っていたら、間違いなくつぶれていた」。

 05年10月、ツアー下部大会に当たるフューチャーズで一般大会デビューする。予選2回戦で敗れたが、翌06年には全豪、全仏のジュニア部門で8強入りする。そして同年10月のメキシコ・フューチャーズで予選を勝ち上がり、一般大会で初優勝を飾った。世界の目が、少しずつ錦織に注がれ始めた。

 

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