<開花1>

 錦織がプロデビューする直前のことだった。07年9月の中国オープン。17歳ながらこの年からジュニアを卒業し、一般大会1本に試合を絞っていた。年頭の世界ランクは600位台。それが中国オープンでは257位にまで上昇していた。

 世界的なラケットメーカーで錦織も使用するウイルソンの契約ストリンガー、細谷理(ただし)氏(45)は中国オープンで初めて錦織と会った。ストリンガーとは、ラケットにストリングス(網目状になっている糸)を張る職人。選手は、縦糸、横糸の張力を指定し、ストリングスを張る。

 張力が強いと球は飛ばなくなり、緩いと飛ぶ。ストリングスは非常に繊細で、張り上げ直後から緩み始め、打つたびに緩む。気温、湿度でも球の飛びは変化するため、テニス選手にとって張力の出来、不出来は勝敗を左右する。細谷氏は「それを分かっていない若い選手は多い」と指摘する。

 錦織は予選3試合を勝ち抜き、本戦入り。1回戦の対戦相手はリュビチッチ(クロアチア)。当時世界12位で、錦織にとって10位台との初めての対戦だった。対戦日の前日、錦織はストリングスの張り替えを細谷氏に依頼した。しかし、出したラケットはたった1本。対して相手は4本を出してきた。

 「世界のトップとこれから戦うというのに1本しか出さない。これじゃ勝負にならない」。細谷氏はそう諭した。錦織は「えっ、そういうものなんですか」と驚いたという。一流選手が試合中に使い古したストリングスが緩んだり、切れたりすることを想定し、多くのラケットを張りに出すことさえ知らなかった。

 試合は錦織のストレート負けだった。細谷氏は「圭だけじゃない。日本選手と世界の差は、ここにあるのか」と感じたという。「僕らはトップ選手が、道具にどれだけこだわっているか知っている。いくら鍛えて体力つけても、道具が違っては勝負にならない」。

 中国オープン翌週のジャパンオープンで、錦織はプロへの転向を宣言した。錦織は母国の大会に初めて推薦選手として出場した。細谷氏も引き続き、大会のストリンガーを務めた。錦織が、張り替えに出してきたラケットの本数は3本に増えていた。(つづく)