92年優勝も自軍の投手に不満「なぜやりかえさない?アメリカじゃ考えられない」/ヤクルト・ハウエル手記

ちょうど30年前の1992年、ヤクルトのリーグ優勝時…日刊スポーツは、ジャック・ハウエル内野手に手記をお願いしていました。無礼講だからこそ、超がつく優良助っ人の告白を堪能してください。(1992年10月11日掲載。所属、年齢などは当時)

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モヤモヤが吹っ切れた。とにかくシーズン中ずっと、こう胸につっかえていたものがあったんだ。デッドボールだ。正直、このチームにはチーム意識、仲間意識というのがないんじゃないか、そう思ったこともあったほどのショックだった。

池山が、古田が死球をぶつけられる。オレだって六つも体にきた。エキサイトした。ところが、ヤクルトの投手といえば、やり返さないんだ。アメリカじゃ考えられないことだ。目には目。「うちの主力になんてことを」と味方の投手はやり返してくれる。向こうじゃそういうものなんだ。

この借りはバットで、とか試合に勝ってというのが日本流の思考だろうが、これだけは理解できなかった。おまけにヤクルトの投手が外角に逃げて、グッと踏み込まれて打たれるシーンを見ると、ホワイ(なぜ)? の気持ちが強くなっていったよ。チーム愛がないんじゃあないか、と。

驚きといえば、日本の野球に前半戦だけでついていけるようになった自分自身だ。ヤクルトに来る前には「慣れるには1年はかかる」と周囲から言われていたから。メジャーでは天性で野球をやっている選手が多い。だがオレには、その天性で、というのがなかった。努力が自分の野球人生だったし、日本でスムーズにやれた原因もそこにあったのかもしれない。

あと、ひとつ覚えたことは忍耐。向こうじゃミエミエのストレートの場面、0―2、0―3からでも変化球がくる。打席での我慢が身に着いた。自然に球の見極めもうまくなったと思う。日本で僕に起こった最大の変化がこれだ。9月に入ってタイトルの話を盛んに持ちかけられることも忍耐が必要だった。

優勝争いをするチームで個人成績を口に出したらメジャーでは仲間外れになる。チームメートに相手にされなくなる。だが優勝のこの瞬間は頭を空っぽにさせてくれた。とにかくアメリカではわき役が、チームを引っ張ることになったんだから。優勝には野球の違いは関係ない。 (ヤクルトスワローズ内野手)

◆ジャック・ハウエル

1961年8月18日、米アリゾナ州生まれ。エンゼルス時代の85年にメジャーデビュー。91年12月、ヤクルトと契約。

92年は後半戦に30本塁打と固め打ち、38本塁打。打率3割3分1厘とあわせ2冠を獲得し、シーズンMVPに輝いた。95年に巨人でプレーした後、メジャーに復帰。99年に引退した。

勝負強さが突出した左のプルヒッターで、NPB通算は打率2割9分1厘、100本塁打、272打点。93年の1シーズン5サヨナラ本塁打はNPB記録。