負け癖、握りしめた拳を両太ももに打ち付けた妻、家族に支えられてつかんだ15年V/ヤクルト石川手記

祝・プロ野球開幕! 昨季の日本一に敬意を表し、東京ヤクルトスワローズが優勝した当時の独占手記を2題、前日に続いて復刻します。まずは2015年、リーグV時の石川雅規投手。チームの絆、家族の絆がダイレクトに伝わってきます。(2015年10月3日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

日刊スポーツ


ヤクルトをチームリーダーとしてけん引した石川雅規投手(35)が、日刊スポーツに手記を寄せた。14年目にして初めてつかんだ優勝。家族への感謝の気持ち、巨人との因縁などを素直な言葉で記した。

この日を待っていた。去年、巨人のビールかけをテレビで見た息子たちから「お父さんのビールかけが見たい」と言われていたので、実現できて本当に良かった。入団した02年のキャンプでは、浦添市民球場にチャンピオンフラッグがたなびいていて、周りはすごい選手ばかり。優勝を身近に感じていたのに、14年もかかってしまった。ファンの皆様、お待たせしてしまい、すみませんでした !

優勝から遠ざかっていた間は、悔しいけど負け癖がついていると感じていた。冷静になれず、ファンのやじに言い返してしまうこともあった。もう悔しい思いをしたくなかったから、優勝を知る先輩たちの姿勢をまねした。練習のための準備に、時間をかけるようになったのは、宮本さんや相川さんのおかげ。2人がアップのための準備を入念にしていたのを見習った。実は、疲労からか、毎朝、目が覚めると左手の小指と薬指の感覚がなかった。それを丁寧にほぐすことから始める毎日だった。

毎年、優勝に挑み、はね返された。1人では心が折れていたかもしれない。家族の存在が大きかった。妻は僕と同じように、試合に向けて緊張して、戦ってくれる。先日、短パンからのぞいた両太ももに青あざがあるのを見て驚いた。「どうしたの?」と聞いたら、握り拳を太ももに打ち付けながら応援していたら、そうなったと。頭が下がる思いだった。19歳の時、青学大の文学部で知り合い、結婚が決まると、せっかく就いたキャビンアテンダントの仕事も1年で辞めてくれた。妻にとっても待ちわびた優勝だっただろう。感謝は言い尽くせない。

今季、潮目になった試合が2つある。1つは6月28日の巨人戦(神宮)。館山の復帰戦だ。僕は2軍に落ちている時期で、戸田でみんなと一緒にテレビで見た。年が近く、彼とは私生活でも親しい。一緒に優勝を目指した戦友でもある。だから、彼のいない2年間というのは心のどこかに隙間が空いていた。でも、満員の神宮で彼が投げている姿を見たら「そんなヤワでどうする」とケツをたたかれた気がした。

もう1つは、自分が中4日で投げた8月25日の巨人戦(神宮)だ。チームに必要とされるところで投げる、と心に決めていたから「いってくれ」と言われた時「ここが勝負どころだ」と感じるものがあった。巨人のデータやビデオなどを徹底して見直した。自分の白星なんて関係ない。ただチームが勝てばいいと思ってマウンドへ上がった。

くしくも、巨人戦ばかり思い出すが、子供の頃は巨人ファンだった。原さんや篠塚さんが好きで中日との決戦となった「10・8」もテレビで見ていた。憧れだった。僕は自由獲得枠でヤクルトに入団したけれど、最初は巨人にも入れる可能性があって悩んだ。結局、縁はなかったが、高く評価してくれたことは感謝している。巨人を相手に好投することは恩返しだと思って、いつも身が引き締まる思いで投げてきた。

僕は生まれた時、1700㌘しかなかった。たしか2カ月くらい早く生まれてしまって、死にかけていたと両親から聞いた。体はずっと小さかった。大きい人にどうしたら勝てるのか。そればかり考えて育った。今思えば、常勝チームより、今のヤクルトみたいに、挑戦者として強敵に向かっていく方が性に合っていたかもしれない。

このチームを出るという選択肢は、僕にはない。だから優勝するのを家族に見せられたのがうれしい。夏休みにどこにも連れて行けない父親だったけど、優勝旅行に連れて行けるのが楽しみだ。このまま日本一になりたい。そしてチームメートみんなの家族とも、喜びを分かち合いたい。(ヤクルト投手)

◆石川雅規(いしかわ・まさのり)

1980年(昭55)1月22日、秋田市生まれ。秋田商―青学大を経て01年の自由獲得枠でヤクルト入団。大学通算23勝。00年シドニー五輪日本代表。

02年に12勝挙げ新人王。08年に最優秀防御率、ゴールデングラブ賞。老練な投球術は健在で、昨季は大卒投手として史上初となる新人から20年連続勝利を達成した。通算177勝176敗、防御率3・86。

2022年の今季年俸は推定9000万円。家族は夫人と2男。左投げ左打ち。167センチ、69キロ。血液型A。