大谷翔平の二刀流を見たパンチョさんは、なんて言うんだろう…没後20年 日米の懸け橋を回顧する

野茂英雄、イチローに大谷翔平よりも…ドラフトの美声と博識で、野球とベースボールを身近な存在にしてくれた貢献度は、この方がNO・1かもしれません。没後20年、パンチョ伊東さんへのオマージュです。(2002年7月10日掲載。所属、年齢などは当時)

ウイラブベースボール

田誠


ベースボールを愛したパンチョさんらしい、葬送曲が流れていた。

「TAKE ME OUT TO THE BALLGAME」(私を野球に連れて行って)。パ・リーグ広報部長としてリーグ発展に尽力し、ドラフト会議の名司会ぶりでは一躍有名に。大リーグの魅力を語り続け日米球界の架け橋役を担った伊東一雄さん(享年68)の葬儀・告別式が9日、東京・芝公園の増上寺で営まれた。

参列した誰もが「お世話になった」と口をそろえる。あの甲高い声で語る、大リーグの魅力に耳を傾けた。僕もその1人だ。

○…訃報に接した野球人たちは、シーズン中にもかかわらず多くのコメントを寄せた。

長嶋茂雄巨人終身名誉監督「私が(最初に)ユニホームを脱いで間もなく米国の野球を見たときにご一緒させていただき、それ以来親しくさせていただきました。日本選手が米国で活躍し、パンチョさんの力がこれから発揮できるところでしたのに残念です。ご冥福をお祈りします」

巨人原辰徳監督「体が悪いのは聞いていたが、お見舞いにいける状態ではなかったので手紙を書きました。ドラフトのときに『読売 1位 原』の言葉は今でもしっかりと耳に入ってるし、感激した。安らかにベースボールを天国から見て楽しんでください」

ダイエー王貞治監督「日米の橋渡し役として野茂、イチローが米国に行く前から日本の野球をアメリカに伝えてくれていた。本当に橋渡し役として大きな仕事をされていました。入院されていたのは聞いていましたが、本当に残念なことです。ご冥福をお祈りします」

広島山本浩二監督「ドラフト会議での司会など、野球界で名物の人だった。びっくりしている。個人的にも米国に行ったときにお世話になっていたので残念です」

3年前の米大リーグ球宴。ボストンを訪れた。手違いで球宴のパス(取材証)がなく、それでも記念にと100年近い歴史を誇るレッドソックスの本拠地、フェンウエィパークの周辺をうろうろしていた。

フェンスの向こう側で行われようとしている夢の球宴を見たい。でもパスがない。チケットも売り切れ。あきらめ気分でいた時に、知人を介して伊東さんがパスを譲ってくれた。

「お前さん、せっかくボストンまで来たんだからナマで見ないとな。オールスターが見れるチャンスなんてあまりないから遠慮なく使えよ」。

夢の球宴。豪華メンバーもさることながら、試合前のセレモニーも感動的だった。始球式にはボストンの英雄で「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズ氏が車いすで姿を見せた。新旧スター選手がマウンド上で集う。見事な演出だった。

マリナーズ佐々木にインタビューするパンチョ伊東氏=2000年4月8日

マリナーズ佐々木にインタビューするパンチョ伊東氏=2000年4月8日

歴史と伝統。野球が大好きな街と人々。魅力の一端をのぞかせてもらったおかげで、以来すっかり大リーグファンになった。パンチョさんは4日の米独立記念日に天に昇り、ウィリアムズは2日後に亡くなった。

今日、大リーグの球宴が開催される。試合前の式典で功績をたたえて伊東さんをしのぶ映像が流される。MLBを愛したパンチョさんは、ちょっとミルウォーキーに寄り道していくようだ。

◆伊東一雄(いとう・かずお)1934年(昭9)、東京生まれ。都立三高(現在の両国高)卒。59年にパ・リーグ職員となり、76年から広報部長を務めた。軽妙、かつ決然とした司会でドラフト会議を取り仕切り、茶の間で人気を博した。独学で学んだ英会話を生かしてメジャーリーグにも精通し、スポーツニュースに欠かせない存在となった。02年7月4日、心不全のため68歳で死去。愛称「パンチョ」は当時、メジャー関係者で知らない人はいないほど有名に。