君は「江夏の22球」を知っているか 全盛期の王貞治から奪三振記録を狙い撃ち…朗希と同等の衝撃/物語のあるデータ②
こんな投手、過去にいたの? 佐々木朗希の完全―完全未遂は、ベーブ・ルースを引っ張り出してきた大谷翔平と同質のインパクトを与えました。大ベテランの記者が着目したのは54年前、佐々木朗と同じ当時20歳の江夏豊です。
ストーリーズ
米谷輝昭
9回2死。ここまで来たら最後は三振で締めたい。1人で投げ抜いた投手には最高のフィナーレだ。ロッテ佐々木朗希投手(20)の完全試合もそうだった。どこまで三振を増やすのだろう。
50年以上も前、投げるたびに「三振の山」を築いた左腕投手がいた。阪神の江夏豊だ。シーズン401奪三振は今も最多記録として残る。1968年(昭43)、入団2年目の快投だった。
★圧倒的な終盤力
江夏はこの年、完投勝利を21試合(8完封含む)記録した。
「あと1人」に迫って、勝利をつかむ展開は18度(サヨナラ勝ち2、9回1死の併殺1を除く)。うち9度を三振で締めくくった。確率5割。「投手ならみんな狙うやろ」。江夏が当たり前のように話したことがある。
残る9度は内野ゴロ2、外野飛球5、安打1、四球1。安打直後の打者は一飛、四球のあとは中飛で仕留めた。同点も逆転も許さなかった。
佐々木朗希と同じように完全試合に向けて快投を演じた試合がある。
同年9月17日、首位巨人との4連戦初戦だった。4回2死から王貞治を空振り三振に仕留め、この時点で8奪三振。1人の走者も許してはいない。それが5回に入って突然、投球が変わった。
★ダンプ辻の回顧
この試合には、最多奪三振の記録更新がかかっていた。稲尾和久(西鉄)の353三振(61年)に「あと8」として迎えた先発。女房役の辻恭彦が当時を振り返った。
「江夏が王さんから(新記録を)取りたいというのは知っとった。というて、捕手が相手を選ぶことなんてできんから」。実は4回に王から奪った三振で新記録を達成したと思い込んでいた。
「あれで(稲尾を)超えたと思うとった。そのボールを江夏に手渡したぐらいやから。なのにベンチに戻ったら、猿木(忠男トレーナー)に『あと1つ』といわれたんや」。79歳になった辻は、計算を間違えたことを覚えていた。
新記録を樹立したつもりが1つ足りないタイ記録。並の投手なら集中力が途切れ、あとは
もう成り行き任せになったろう。
江夏は違った。王からの新記録にこだわった。4回まで毎回2つあった三振が、5回から急に消えた。
辻は「江夏がどうしたのかは分からん。微妙な力加減で投げたんやろね」。5回2死後、末次民夫(のちに利光と改名)に中前打された。パーフェクト投球は、打者15人目で止まった。
巨人とは2ゲーム差、個人記録など口にできない首位攻防戦だった。
そんな中で江夏は思いを貫いた。5回は中飛、三ゴロ、中安、一ゴロ。6回は二ゴロ、捕邪飛、中飛。7回、先頭を一邪飛に仕留め、タイ記録のまま王を迎えた。
この間の2回 1/3 、打者8人に対して22球を投じ、得点は許さなかった。「生かさず殺さず」の投球。これを「江夏の22球」といっている。
巨人は早打ちが多く、末次の初安打も初球だった。王以外の三振を望まない江夏は助かったろう。
7回、やっとたどり着いた対戦はカウント1-2と追い込んだ4球目、高めに投じた速球で空を切らせた。これで3打席3三振。狙い通りの新記録達成となった。
三振を奪う大ピンチ? があった。6回、先頭で投手の高橋一三を迎えた場面だ。ボール、空振り、空振りで1-2と追い込んだ。4球目にバッテリーが選んだのは真ん中低めの緩いボール。高橋一はバットに当て、二ゴロになった。辻は「ボール気味の球を振ってくれたと思う。よかった、と思ったら一塁のベースカバーを忘れてしもうたよ」と振り返った。
ユニホームを脱いだ江夏が「打たせて取った投球」を語ったことがある。
「投手の勘みたいのはあった。ここに投げたら打たれる、ここは打たれんというか。基本は真ん中低め、ゴロになりやすいから」
この年の5月、右打者の外角低めを突く制球力を求めて、新たな練習を始めていた。
ブルペンでの練習中、江夏がこんなことを言い出したという。
「ホームランを打たれとうないんです」
辻はこう答えた。「ほな、ここ(外角低め)への制球力を身につけることや」。
徹底して外角低めに投げ込むことを続けた。辻によると、当時の左投手は内角低めへのクロスファイアが重視され、外角を突く球はアバウトだったようだ。
辻が三振を取る配球の一例を話した。
★外、外、外、内
「1球目はアウトローの真っすぐでストライク。安打になる確率が低いんで、まず手を出さない。2球目は外のボール。3球目も外ギリギリにポンときて、2ストライク。そのあとインハイの速球で空振り。三振は1球目のストライクが大事なんです。江夏はそれができた。2年目に覚えたカーブは曲がり切らんかったが、真っすぐは速かった」
被本塁打は、望み通り減少した。被本塁打率(1試合9イニングあたりの被本塁打数)でみると、1年目の1・05が0・79に落ちた。
話を記録達成の試合に戻そう。江夏は自らのバットで試合を終わらせた。0-0で迎えた12回1死一、二塁、自ら右前打を放ってサヨナラを決めた。139球を投げ、被安打3で完封した。
三振は「数より相手」を優先させたが、それでも13三振を奪った。この年、25勝12敗、防御率2・13の成績を残した。
巨人が4年連続の日本一になった年だった。王はといえば、49本塁打を放って7年連続のタイトルをつかみ、首位打者にも輝いた。そんな相手をターゲットに三振させない離れ業まで使った。
1試合最多奪三振は8月8日の中日戦で奪った16三振。49試合、329イニングを投げて401三振を奪った。
今、シーズン200イニングを超える投手はまずいない。当然、奪三振も江夏までは遠い。
昨年、両リーグ最多だったオリックス山本由伸(23)は、193回 2/3 を投げて206三振を奪った。奪三振率(1試合9イニングあたりの三振数)でみると、山本は9・57で68年の江夏は10・97。佐々木朗希は、16・26(4月17日現在)と驚異的なペースを続けている。
さて、いつになれば声援を送れるようになるのだろう。9回2死、満員のスタンドから「あと1人っ」コールが飛び交う中、最後の打者を三振に切ってとる佐々木朗希の姿をもっと、もっと、みたいと思う。